“明日なき”人生を乗り越えて

 50年代から70年代にかけて、特に日本のファンに愛され、日本でのみヒットした洋楽を取り上げるコーナー。第2回目は『孤独の世界』でお馴染みのP.F.スローン。


↑日本でのみヒットしたため、この曲のライブ映像などは皆無。

『孤独の世界』
P.F.スローン作詞・作曲
アラカン編集長  訳詞

人里離れた教会の鐘を 聞いたことがあるかい?
天使の嘆く歌を 聞いたことがあるかい?

離れた場所からなら 天使の嘆く歌は聞こえる
天使が嘆くのは 明日の罪がもたらす悲しみのためなんだ

空から星が落ちるのを見たことがあるかい?
離れた場所から見ると 空の眼がひとつ欠け落ちたみたい

離れた場所から見ると 空の眼がひとつ欠け落ちたみたい
それは神さまが僕たちを見るチャンスが 一つ失われたっていうこと

自分を正しいと信じるきることは むずかしいよね
ひとりぼっちで夜に さまよっている時は

「高い」ってどれくらい「高い」のか 考えたことがあるかい?
遠くからみれば 一番高い建物もとても小さく見えるよね

離れた場所から見れば 一番高い建物もとても小さく見えるよね
そう、人もモノも結局測ることなんかできない

自分を正しいと信じるきることは むずかしいよね
ひとりぼっちで夜に さまよっている時は
だから明かりを捜すんだ、そして…

人里離れた教会の鐘を 聞いたことがあるかい?
天使の嘆く歌を 聞いたことがあるかい?

離れた場所からなら 天使の嘆く歌は聞こえる
天使が嘆くのは 明日の罪がもたらす悲しみのためなんだ

 若い頃洋楽を聴くようになった理由のひとつが、少しばかり英語がわかるようになると、その歌詞が当時の日本の歌謡曲のように男女の愛や恋ばかりを歌っているわけではないということに気がついたこと。ビートルズの『レット・イット・ビー』、マービン・ゲイの『愛のゆくえ』、サイモンとガーファンクルの『明日に架ける橋』等々、60年代から70年代まではボブ・ディランに始まるメッセージ・ソングや友情や無償の愛を謳った癒しの歌が時代を映す鏡のような存在だったと思う。

 スローンが最初に注目されたのは、19歳の時に書いたオリジナルのプロテスト・ソング『明日なき世界(Eve Of Destruction)』で、これを『Green, Green』のヒットで知られる元ニュー・クリスティ・ミンストレルズのバリー・マクガイアが歌って大ヒット。日本でも故・忌野清志郎が歌っていたので憶えていらっしゃる方も多いのではないだろうか。こちらは筆者の拙い訳ではなくて、高石ともや氏の素晴らしい訳詞(忠実な訳ではないが)があるので合わせて紹介したい。


↑まだまだ現役!バリー・マクガイア2007年の熱唱

『明日なき世界』(破滅の前夜)
P.F.スローン作詞・作曲
高石友也     訳詞

東の空が燃えてるぜ 大砲の弾が破裂してるぜ
おまえは殺しの出来る年齢 でも選挙権もまだ持たされちゃいねえ
鉄砲かついで得意になって これじゃ世界中が死人の山さ

でもよォー何度でも何度でも おいらに言ってくれよ
世界が破滅の前夜なんて嘘だろ

わかんねぇかよ 俺の言うことが 感じねえかよ、この感じを
ボタンが押されりゃそれで終わりさ 逃げ出す暇もありゃしねえ
見ろよそこの若いの、よく見てみろよ びくびくするのも当たり前さ

でもよォー何度でも何度でも おいらに言ってくれよ
世界が破滅の前夜なんて嘘だろ

俺の血は狂ってきたらしいぜ でも本当のことは曲げられねぇさ
議員はいつもゴマカシばかり 法律で真実は隠せるものか
そりゃデモをするだけで平和がくるなんて 甘い夢など持っちゃいないさ

でもよォー何度でも何度でも おいらに言ってくれよ
世界が破滅の前夜なんて嘘だろ

狂ってきたこの世は虚しすぎるぜ そうさ この世から逃げるに限るさ
一週間ほど宇宙旅行に でも戻ってくる場所は元の古巣さ
進軍ラッパが国中に響く 潜水艦が、ジェット機が、国を取り巻く

でもよォー何度でも何度でも おいらに言ってくれよ
世界が破滅の前夜なんて嘘だろ

 この曲でスローンは早熟の天才ソングライターとしてママス&パパス、フィフス・ディメンション、タートルズ、ジョニー・リバースなどに次々と曲を提供するようになるのだが、そもそもスローンがレコードデビューしたのが13〜14歳というのだから、早熟ぶりも度が過ぎている。この少年の才能に目をつけたのが西海岸の大プロデューサー、ルー・アドラーで、後年プロデューサーとして名を上げたスティーヴ・バリと組ませて自分がマネジメントしていたジャン&ディーンの曲を書かせ、成功を収めるようになる。


↑ジョニー・リバースが歌って大ヒットした『秘密諜報員のテーマ』の自作自演。スローンが不遇だった1990年頃の映像

 1965年にアドラーが独立して「ダンヒル」レーベルを立ち上げると、スローンとバリのコンビもこれに参加。当時のフォーク・ロックブームに便乗しようとして書かせたのがこの『明日なき世界』だった。それまでサーフィン&ホットロッドの曲を書いていた若者にいきなりプロテスト・ソングを書かせて、それが全米1位になるのだから、アドラーの眼力を褒めるべきか、スローンの器用さを褒めるべきか…。

 しかし、全米1位の勲章はスローンを一人のアーティストとして目覚めさせた。元々歌もギターも上手いし、ルックスもいい。そろそろ裏方を卒業し、自身でアルバムを作りたいという欲求が強くなり、2枚のソロ・アルバムをリリースする。アルバム自体の出来は悪くなかったのだが、裏方としての仕事が忙しく、十分なプロモーションができない状態でのヒットは難しかった。

  そんな状況を打開するために、スローンはダンヒルから独立することを打診する。しかし、安い給料でいい曲をガンガン書いてくれるドル箱スタッフだったスローンを手放したくないアドラーは「ダンヒルレーベルで書いた楽曲の印税を放棄するなら」という無茶苦茶な条件を出す。ところが、どうしても独立したかったスローンはこの条件を受け入れ、裸一貫の状態からソロ・アーティストとして再出発することになる。

 しかし、後ろ盾を失ったスローンにチャンスは訪れなかった。その後重い精神疾患に悩まされ、1968年と1972年に2枚のアルバムをリリースしただけで、いつしかフェードアウトしていくのである。

 ところで、日本で『孤独の世界』(日本ではしばらく、原題に関係なくナントカの世界というタイトルが続いた)がヒットしたのは1969年。この曲が収められたアルバム『Twelve More Times』がリリースされたのは66年。実は当時日本でもシングルカットされていたのだが全く売れず、その後日本でのダンヒルの発売権が日本ビクターから東芝に移ったのを契機に再発され、徐々に火がついたのである。ちなみにこの曲が売れたのは日本だけで、アメリカでは話題にもならなかった。

 スローンが長い闘病生活を脱し、クラブなどで細々と歌うようになるまで回復したのは1985年のことだった。そんな中、世間から忘れ去られてしまったスローンの才能を惜しむ一人のソングライターが、スローンに捧げる美しい曲を書いた。


↑タイトルはそのまんま『P.F.スローン』

 「ずっとP.F.スローンを探している 彼の行方を知る者はいない ときめきを送ってくれた歌を聴いた者もひとりとしていない」という歌い出しから始まるこの曲を書いたのは『マッカーサー・パーク』や『恋はフェニックス』等の作者として知られるジミー・ウェッブ。この曲はウェッブ自身が2010年にリリースしたアルバム『ジャスト・アクロス・ザ・リヴァー』の中でジャクソン・ブラウンとの共演で再演したり、最近イギリスの女性歌手ルーマーが取り上げている(これも泣かせます)ので、結構若いファンにも知られている。

 “盟友”の呼びかけに応じるように、スローンは1994年にアルバム『SERENADE OF SEVEN SISTERS』を発表する。その中には環境破壊をテーマに歌詞を変えた『明日なき世界』も含まれていた。若い頃の透明感のある声は失われていたが、そのアーティスト魂は健在だった。そして次に彼の話題を聞いたのが2006年のニュー・アルバム。ここでも『明日なき世界』の3度目のバージョンを聴くことができる。

 若い頃から有り余る才能を持っていたスローンだったが、結局その後の人生で、19歳の時に書いた『明日なき世界』以上の成功を収めることはできなかった。しかし、不遇の年を重ねたスローンの『明日なき世界』には、その頃にはなかった、深く枯れた味わいがある。また、その衝撃的な歌詞の持つ意味は、あれから47年経った今でも、何も変わってはいない。そして彼を讃えたジミー・ウェッブ同様、彼はいまだにアーティストたちにとってのヒーローであり続けている。


↑2007年頃のライブから『明日なき世界』の再演

 ◇追記◇ ルーマーの歌った『P.F.スローン』がヒットしたのを受けて、アメリカではスローンの再評価が高まったようだ。下の映像はルーマーとスローン自身がデュエットする『P.F.スローン』の微笑ましい映像。お腹まわりにすっかり貫禄がついたスローンだが、何はともあれ、元気そうで何よりです。


 ◇再追記◇ P.F.スローン氏が2015年11月16日に膵臓がんで他界されました。享年70歳。数々の素晴らしい音楽をありがとうございました。ご冥福をお祈り致します。