私生活を投影して名曲量産

 50年代から70年代にかけて、特に日本のファンに愛され、日本でのみヒットした洋楽を取り上げるコーナー。第3回目は『落ち葉のコンチェルト』『風のララバイ』のアルバート・ハモンド。

 この人の場合、日本だけでヒットしたという意味では何と言っても『落ち葉のコンチェルト』が一番だろう。アメリカでもUKでも全く売れなかったのだが、売れなかった原因はちょっと誇大妄想気味?な歌詞にあるのかもしれない。加えて、これほど歌の内容と日本語タイトルが無関係な曲も珍しい。英語の歌詞を意識せずに聴いていると、確かに間奏のイメージは“コンチェルト”だし、あのドリカムがパクったと一部で噂される、実に美しいメロディラインなのだが…。

 日本語訳については歌詞のついたyou tube映像があるので確認して欲しい。原題は"For the peace of all mankind"(人類の安らぎのために)と、なかなか壮大なタイトルなのだが、詞を読むと女性に一晩だけ遊ばれてしまった男の“恨み節”である。その女性を忘れたいがために「僕の心が安らかになるように、心から消え去ってくれ」と願うのだが、それが一挙に拡大して「人類の安らぎのために」になる辺りが、男の悲嘆振りや子供っぽさを良く表しており、その詞をいかにもハモンドらしいリリカルなメロディーに乗せたところが、この曲のユニークなところ。

 作詞はハモンドとのコンビで数々の名曲を産み出してきたマイク・ヘーゼルウッドだが、この曲に限らず、歌詞のアイデアはハモンドの実体験を反映しているものが多い。ちなみに『落ち葉のコンチェルト』に描かれたハートブレイカーは『足ながおじさん』『猿人ジョー・ヤング』などに出演していたハリウッド女優のテリー・ムーアとのことだが、もしそうであれば、ハモンドは15歳も年上のお姉様に遊ばれたことになる。


↑最初の大ヒット『カリフォルニアの青い空』。ハモンドのテレビ出演映像は年代別にかなり豊富

 ハモンドを一躍スターダムに押し上げた『カリフォルニアの青い空』も、若い頃の苦い体験をもとにした曲。ハモンドはロンドン生まれの英領ジブラルタル育ちで、デビュー当時の活動場所はスペインやモロッコだった。そのため、スペイン語にも堪能で、全曲スペイン語歌詞のアルバムも発表している。

 そのスペイン時代に、食べるのに困って駅前で物乞いをしていたら、運悪くハネムーン中の従兄弟に見つかり、両親への口止めを頼んだにも関わらずバラされてしまったという苦い経験が、『カリフォルニアの青い空』ではロサンゼルスに舞台を移して再現されている。「自分がいかに惨めな状態か、両親には内緒にして。南カリフォルニアでは雨が降らないって聞いたけど、降るときは降るんだ。土砂降りが…」

 69年にはイギリスに移り"The Family Dogg"というボーカルグループに参加していたのだが、70年代に渡米、メジャーマーケットに活動の基盤を移したことが成功を呼んだ。72年に『カリフォルニアの青い空』が大ヒットすると、『フリー・エレクトリック・バンド』『ダウン・バイ・ザ・リバー』といったスマッシュヒットを連発する。

↑カーペンターズの名曲『青春の輝き』

 しかし、彼の名声を高めたのはむしろソングライターとしての才能だった。ホリーズで大ヒットした『安らぎの世界』や、カーペンターズの『青春の輝き』も彼の作曲。『青春の輝き』の作詞はリチャード・カーペンターとジョン・ベティスだが、ツアーに明け暮れて恋愛もできない自身の葛藤を歌っており、やはり“私生活投影型”の内容になっているのがいかにもハモンド作品らしい。

 ヒットメーカーのキャロル・ベイヤー・セイガーが作詞、ハモンドが作曲した『遥かなる想い』も代表作。レオ・セイヤーが歌って大ヒットしたが、これもまたハモンドの実体験を反映したもの。ポール・マッカートニーのMSG公演を観て、自分との実力差に激しいショックを受けたハモンドが元妻に電話で泣き言を言ったというエピソードがもとになっている。

 元妻には冷たくあしらわれたらしいが、自分が落ち込んでいる時、本当に必要なのは誰かという思いが"When I Need You"というタイトルに表されている。歌ったレオ・セイヤーも元妻を恋しく思っていたらしいので、“離婚亭主”同士の共感が生んだ名曲と言うと、ちょっと興ざめだろうか。


↑ハモンドが自身のピアノで歌う『遥かなる想い』。近年の感動的な演奏

 81年には『風のララバイ』が日本でスマッシュヒット。この時代にはなぜかAORのアーティストとして分類されていた。やっていることは何も変わっていなかったのだが…。ただ、この曲でハモンドのメロディーが特に“日本人好み”であることが実証されたような気がする。

 では、近況はどうかと言えば、2000年には56歳で大英帝国勲章を受章。その後息子のアルバート・ハモンドJr.がザ・ストロークスのギタリストとして大ブレイク。ストロークスのアルバムで父子共演というほほえましい話題も。母親はアルゼンチン出身の元モデルだが、息子も父親に似て?イギリスのスーパーモデルと交際して話題を撒いた。

 これまで自身の悲しい私生活を歌にしてきたハモンドだが、現在68歳。今や自身よりも有名になったJrとの仲もいいようで、人一倍幸せな老後、いやミュージシャンとしての現役を過ごしているようだ。

 ◇追記◇ 2016年1月29日〜2月1日、ハモンド氏が43年ぶりの来日公演を果たしました。もちろん私も行きましたよ、最終日の大阪公演。ハモンド氏は酷い風邪をひいていて最悪のコンディションでしたが、喉を枯らしながらの大熱演。ステージは代表曲のオンパレードで、もちろん「落ち葉のコンチェルト」も。御年71歳、誠実で温かい人柄のにじみ出る素晴らしいステージでした。当方、かぶりつきで鑑賞、握手もしてもらって大満足でした。