理詰めで変えた?仕込み杖

 座頭市というキャラクターの生みの親は少なくとも3人いる。一人は原作者の子母澤寛。二人目は市を演じた勝新太郎、三人目は脚本家の犬塚稔である。ちなみに犬塚は2007年に106歳で大往生。昨年100歳で亡くなった新藤兼人監督よりも長寿で、晩年までインタビューに答え、座頭市誕生にまつわる話をしていた。

 大映の久保寺プロデューサーが犬塚に『ふところ手帖』を持ち込んだ時、犬塚はすでに読んでいて、興味を持っていたという。犬塚はさっそく市の出自や生い立ちなど、キャラクターの肉付けに取りかかる。題名や時代背景は原作通り、天保水滸伝の外伝としてストーリーが組み立てられることになった。市は助五郎の客分、そうなると市のライバルは平手造酒という具合に、犬塚の筆は進んだ。

 主役はすんなり決まった。誰が見ても『不知火検校』で強烈なインパクトを残した勝以外考えられなかったのである。出来上がった初刷りの脚本を見て、勝は興奮を抑えきれなかった。まるで長年抑え込まれた自身の鬱屈を重ね合わせたようなキャラクター。そして勝の理想であったシリアスな娯楽時代劇でもある。「三味線を捨て映画界に入ったのは、この作品と巡り会うために入った道だと思った」(自伝より)

 それからの勝は「盲人の殺陣」という前代未聞のチャレンジに役者生命を賭けた。盲人特有の表情や仕草については『不知火検校』の役作りでマッサージ師などを観察、ある程度は習得していたが、殺陣となるとすでに役作りを超えている。

 勝は合気道の達人を自宅に招いて教えを乞いたという。合気道は合理的な体捌きで相手の力と争わずに攻撃を無力化し「小よく大を制す」武術である。盲人であれば自分から攻撃を仕掛けるのは考えにくい。攻撃を受けた際に相手の力を利用して勝つという合気道の考え方は、盲人の護身術として理にかなっているというわけだ。

 達人は盲人の感覚を「恐怖を感じる宇宙」と表現した。盲人は障害物や外敵を目視できない分、気配を感じるギリギリの距離まで近づかなければわからない。「恐怖を感じる宇宙」が根底から違うのである。全身の感覚を常に鋭敏にして臨戦態勢を保ち、いつ襲ってくるかわからない突然の危機に対処しなければならないのだ。

 それは「勘」と「間合い」の勝負でもあった。相手が斬り込んできたギリギリのタイミング、最少の動きで斬り抜ける。勝は早速実戦練習を始める。目を閉じたまま、自宅の庭で弟子達に一斉に斬り込ませる。最初は全く対応できず、斬られっぱなしだったが、生来の運動神経と勘の良さで、相手の懐に飛び込んでいくような独特の殺陣を徐々にものにしていくのである。もちろん、斬られ役の習熟も必要になってくる。弟子達も必死だった。

 こうして出来上がった無駄のない、スピーディーな殺陣は、これまでの時代劇には見られなかった独特のリアリティを産み出すことになる。それに伴って徐々にキャラクター設定も確立されていった。市の居合いは、あくまで盲人である自身を守るための手段である。従って他人に喧嘩を売ってリスクを冒すような真似はしないし、無駄に人を斬ることもない。

 そんな理由から、原作の長脇差(ドス)は仕込み杖に変わった。仕込みは武器を持っていないという意思表示であり、杖は盲人の必需品でもある。緻密な「理詰め」の設定変更であった。しかしそうなると、「非戦派」である市のアクションシーンは最小限に、しかも緊迫感のある印象的なものにしなければならない。

 この難しい企画をまとめるために、監督には大映時代劇のエース、三隅研次が起用された。市を慕うヒロインには倒産した新東宝から移籍してきたセクシー女優の万里昌代、平手造酒役には同じく新東宝の個性派、天知茂が選ばれた。いかにも移籍組の有効活用、といったキャスティングではあったが、結果的にこれが正解だったのである。<次回に続く> <前回へ戻る>