前編・VANの登場

 テクノロジーは日々進歩するのだから新しいものの方がいいに決まっている。そう思うのは当然だ。しかし、今もなお古い車に乗り、古いオーディオ機器を楽しみ、銀塩カメラを収集する人がいる。彼らにとっての価値観は「古い」とか「新しい」ではない。「それを使い続けたいか」「いつまでも残しておきたいか」ということのみだ。モノの価値は機能だけで決まるわけではない。“アラカン”では古いものや考え方にある種の普遍性を見いだすことと、それを積極的に楽しむ人たちを指して“旺盛復古”と呼ぶことにした。

 ファッションとは流行(はやり)・廃りの世界である。そもそも服飾品は生活必需品であるから、流行しているものを着るべきという価値観が無いと産業としては成立しにくい。しかし、流行とは無縁な形で長年愛され続けるファッションもある。それがトラッドであり、アイビールックである。

 アラカン世代には、学生時代からずっとアイビーを愛好し続けている人も多い。そのスタイルが息子世代に受け継がれ、やがては孫も…というのがトラッドの醍醐味だ。着こなしやアイテムが世代によって微妙に変わっていくのも面白い。

 そもそもの始まりはアメリカ東海岸の名門8大学、ハーバード大・イェール大・プリンストン大・コロンビア大・ペンシルバニア大・ブラウン大・ダートマス大・コーネル大が1954年にフットボール連盟を組織したことに遡る。

 レンガ造りで蔦(アイビー)の絡まる校舎という共通点から、このフットボールリーグはアイビーリーグという名称になった。そして1955年、各校の学生達が普段着ていたフアッションを、国際衣服デザイナー協会がアイビー・ルックと呼んだというのが、一般的な説。

 言い換えれば「東部のお坊ちゃんファッション」ということになるのだが、このファッションを日本でいち早く取り入れ、商品化したのがレナウンの社員だった故・石津謙介氏である。石津氏は1951年に独立して前身となる石津商店を創業、54年には「株式会社ヴァンヂャケット」からVANブランドを世に送り出した。

 それに火をつけたのが60年代に入って、銀座・みゆき通りにたむろしていた「みゆき族」の登場である。男はBD(ボタンダウン)シャツにバミューダショーツや丈の短いコットンパンツというアイビーの着崩しスタイル。女子は白のブラウスにローヒールの靴、ロングスカート、リボンベルトを後ろ手に締め、三角折りのスカーフやネッカチーフがアクセントだった。

 男女とも共通していたのはみゆき通りに店を構えていたVANブランドがステータスになっていたことで、VANの紙袋は必須アイテムだった。VANが買えなくてJUNの紙袋やフーテンバッグを抱えた若者も多かったが…。さらに1964年4月創刊の週刊誌「平凡パンチ」で、みゆき族とアイビーファッションを紹介。人気は全国区になる。表紙に描かれた大橋歩さんのイラストは、まさに時代の空気を切り取っていた。

 石津氏は63年に姉妹ブランドのKENTを創設し、65年には「TAKE IVY」キャンペーンを実施、写真家の林田昭慶氏が現地で撮影した写真満載の本「TAKE IVY」はアイビー信者のバイブルとなった。「TAKE IVY」は当時の貴重な記録として英訳され、アメリカに逆輸入?もされている。

 本国アメリカではジャス・ミュージシャンがいち早くアイビースタイルを取り入れたが、日本の芸能界でも若大将・加山雄三やザ・ランチャーズ、ザ・サベージ、パープル・シャドウズ、ヴィレッジ・シンガーズ、ザ・ワイルドワンズ、ブルー・コメッツといったGSやカレッジフォークの面々がアイビーファッションに身を包み、当時の流行に一役買った。清潔なイメージが音楽イコール不良というレッテルを少し和らげてくれたかも…。

 BDシャツ、三つボタンのジャケット、細身のコットンパンツ(チノパン)といったアイビーの定番アイテムは、ユニクロのホームページを見ても、必ず出てくる。当時の流行が今も若者のマストアイテムになっているのだから、アイビーファッションの持つ普遍性を感じざるを得ない。

 大きく違うのは髪型ぐらいか? さすがに今どきの若者はアイビーファッションで決めていても七三にはしないし、モミアゲもカットしない。もちろんMG5も使っていないだろう。それでもあの時代の若者より幾分カッコ良く見えるのは、やはり栄養事情の違いか、それとも単なるヤッカミか…。<次回へ続く>