後編・オーディオは独立した趣味

 実は、筆者も自作スピーカーにはまった口である。最初の“作品”は中学生の時。コーラルの安価なフルレンジを使った密閉型だった。それでも結構立派な音を出すことに興奮し、小遣いを貯めてはランクを上げていった。低域が不足していると感じると、壊れた白黒テレビに付いていた20センチウーハーを取り出して、即席のサブウーハーを作ったりもした。

 友人達との情報交換も重要だった。意味のわからない専門用語は機械好きな友人に聞き、パーツも廃品回収業者から調達してもらった。ラジオやアンプを自作するのも、当時としては普通の趣味だった。自分で工作しながら覚えていき、その過程で優秀な製品を見分ける力を養ったのである。今考えれば、すべて長岡氏の(教育の)おかげだったと言っても過言ではない。

 現在刊行されているオーディオ雑誌をめくると、(全部ではないが)数百万、数十万といった機器がカタログのように並べられ、評論家と称する面々が広告の出稿量に比例したような文章を書いている。高いものはマニア向けで値段相応にいい、安いものは初心者向けで性能もそれなりという決まり切った書き方だ。まるで長岡氏が登場する以前の状態に戻ってしまったかのような錯覚を覚える。この不況下で、製品を批判してますます売れなくするのもどうかとは思うが、長岡氏のように安価で良心的な製品をどんどん取り上げていかないと、若いオーディオファンが離れていくような気がする。

 そんな中で、中高年の間で静かなオーディオ・ブームが起こっているという。理由のひとつには、昔憧れた機器がオークション等で比較的安価に入手できるようになったこと。当然、中古なのでメンテナンスが必要だが、かつてのオーディオ少年達にとっては、多少手のかかる修理も楽しみのひとつなのである。

 「オーディオは音楽鑑賞の道具ではない。独立した趣味だ」というのは長岡氏が残した名言のひとつだが、これはクルマにもカメラにも言えることで、移動する手段、写真を撮る道具というだけだったらのめり込むことも散財する必要もないわけだ。筆者も40代半ばを過ぎてから再び忘れかけていたオーディオにのめり込み、所有したアンプ、スピーカーは50台を超える。自作スピーカーも復活し、作り過ぎてヤフオクで売却したものを今でも誰かが使っていると思うと、少し胸が熱くなる。自分で作ったスピーカーの音は、なぜか忘れないものだ。

 先日同年代の友人と話した時も、その話題で盛り上がった。音響効果やクリーンな電源を実現した、ソファー付きの立派なリスニングルームを持つことが、少年時代に共通の夢だったからだ。

 長岡氏は生前越谷の自宅に「方舟」と称する約48畳のホームシアターを作り、関係者、一般人の区別なく招待していた。今ではホームシアターなど珍しくもないが、当時のサラリーマンにとっては夢のまた夢であった。何しろ最も高性能と言われた巨大な三管式プロジェクターが数百万円した時代である。

 高級機がズラリと並ぶ中にあっても、スピーカーはやはり全て自作であった。長岡氏のポリシーでは最もカネをかけるべき機材はアンプで、良いアンプを使えば、国産の安価なスピーカーでも驚くような音を出すというのが持論だった。

 現代オーディオの主流はフルデジタルに移行しつつある。原音に最も近いと言われるハイレゾ音源を、パソコンを使ってフルデジタルアンプで鳴らす。そのデジタルアンプ、いわゆるD級アンプの本体はチップだから、安価で電力も食わず、それでいて数十万のトランジスタアンプを凌駕する音を出す。中国製の安いデジタルアンプでも良いから、試しに60〜70年代の古いスピーカーに繋いでみれば、きっとその潜在能力に驚くだろう。長岡氏の言っていた意味がわかるはずだ。

 そんなフルデジタル時代が花開き始めた2000年に長岡氏は亡くなった。生きておられたら、きっと安価なデジタルアンプやPCオーディオを推奨したことだろう。「方舟」の機器もブルーレイや100インチのディスプレイに変わっていたかもしれない。しかし、ひとつだけ確かなことがある。それでもスピーカーだけは自作(しかも新作)であったに違いないということだ。<前回へ戻る>