第四章〜祇園双紙

 三日目の朝は世界遺産・下鴨神社に向かう。ここの紅葉は京都で一番遅い。ということは今年の場合、今が見頃ということだ。私のように時期を誤った人間にとっては“最後の砦”である。

 ところで、下鴨神社というのは通称であって、正しくは賀茂御祖(かもみおや)神社という。一方の上賀茂神社は賀茂別雷(かもわけいかづち)神社。両方とも賀茂氏の氏神なのだが、賀茂氏は八咫烏(やたがらす)に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を始祖とする。要するに、賀茂氏というのは神話世界に登場する神様の子孫ということ。有名どころでは『方丈記』の鴨長明(下鴨社家)、や江戸時代の国学者・賀茂真淵(上賀茂社家)がいる。

鴨か賀茂か、それとも加茂か

 ここで「あれ?」と思った人はなかなかカンが鋭い。なぜ一方が“鴨”で、もう一方が“賀茂”なのか。実は鴨川の呼び方も「鴨川」「賀茂川」「加茂川」と、3つの表記があり、高野川との合流点から上流を賀茂川または加茂川と表記するのが通例。では、どれが正しいのかと言えば、どれも正しい。但し、河川法上ではすべて「鴨川」である。神社が出来たのは上賀茂の方が先で、下鴨がだいぶ後になるのだが、姓の方は鴨が先で賀茂があとのようだ。この辺は諸説あって結論は出ていないようだが…。

 さて、賀茂神社のお祭りといえば5月15日の「葵祭」だが、時代劇ファンでなくとも葵と聞いて思い出すのは水戸黄門の切り札、葵の御紋。この「三つ葉葵」の原型は賀茂神社の神紋「二葉葵」である。これは松平、本多といった三河の武士が賀茂氏の子孫であったことに由来している。とまぁ、歴史のウンチク話はこの辺で止めておいて、紅葉の「糺の森」を散策。ここの良さは何よりも「拝観料」が要らないこと。仕方ない事とは思うが、京都観光は何かとカネがかかるのだ。

ただひとり都のなかに往き暮れて 浪費をおもふ秋のゆふぐれ

「糺の森」は基本的に原生林なので、人工的に植栽された木々と建物が織りなす“京都らしい”紅葉ではなく、自然の森に近い風景。その分面白味はないが、歩くだけで秋を満喫できる→

 「糺の森」は現在でも東京ドーム3つ分と、広大な原生林なのだが平安時代には今の41倍もあったというのだから、どれだけ広かったのか想像がつかない。規模が小さくなった最大の原因は「応仁の乱」の戦火なのだが、京都の古寺名刹は殆どこの戦乱で焼失しており、現在残る建物は多くが江戸時代以降に再建されたものである。そう考えると、奈良の法隆寺が670年の焼失・再建以降、1300年以上守られてきた事は奇跡と言っていいだろう。

 近頃若い女性の間で「パワースポット」なるものが流行っているようだが、寺社好きの私が個人的に“パワー”を感じた場所はそう多くはないし、必ずしも有名な場所とは限らない。しかし、ここは多くの人が“何か”を感じる場所だと思う。ところで、この地の清流の源である御手洗池(みたらしのいけ)の水泡を模して作られたのが「みたらし団子」。森に元気をもらったせいだろうか。朝出かけるときはあまり食欲がなかったのだが、歩いていたら、急に団子が食べたくなった。

祇園の話題は勘三郎

 出町柳駅から京阪電車に乗って祇園四条駅で降りる。地上に出ればそこは南座。中村勘九郎の襲名公演とあって、いつもより華やいでいるはずなのだが、ちょうど前日に亡くなった父親の18代目勘三郎の話題があちこちから聞こえてきて、少しばかりしめやかな雰囲気。南座は四条通りの南側にあるためその名がついた。かつては北側に北座があったが、明治時代に閉鎖。今は井筒八ッ橋本舗祇園本店の角に石碑だけが残る。余談だが、ここの2階の喫茶は広々してソファー席もあり、かなりゆったり過ごせるので、観光疲れの際には重宝する。

←上が丹波屋のだんごとおはぎ。下は祇園白川の秋景色

 さて、まずはお団子。私の京都で一番のお気に入りは南座はす向かいの丹波屋 。京都でだんごを売る店はあまたあるのだが、こちらの店先で焼かれる「味噌だんご」(120円)の香りについつい釣られてしまう。デカい、安い、旨いの三拍子揃った祇園のファスト・フードだ。糖尿病患者であることを忘れ、買い食い用に1本、ホテルでのおやつに3本、ついでにおはぎ(絶品)を2つ買う。どう考えても食べ過ぎだが。

 お昼まで少し間があるので、祇園白川をブラブラ歩く。ここには吉井勇の「かにかく碑」がある。

かにかくに祇園はこひし寝るときも 枕のしたを水のながるる

 説明書きにはこうある。「当時は白川の両岸に茶屋が建ち並び、建物の奥の一間は川の上に少々突き出ており、『枕のしたを 水のながるる』はその情景を詠んでいる。しかし、第二次世界大戦下の昭和20年(1945)3月、空爆の疎開対策に白川北側の家々は強制撤去され、歌碑が建っているこの地にあった茶屋「大友(だいとも)」も犠牲になった。大友は当時の文人、画人たちと幅広く交流のあった磯田多佳の茶屋である。昭和30年11月8日、友人たちにより吉井勇の古希(70歳)の祝いとして、ここに歌碑が建立された」

 以来、毎年11月8日には吉井勇を偲ぶ「かにかく祭」が祇園甲部お茶屋組合によって開催される。まぁ、お祭りといっても芸妓・舞妓さんが菊の花を献花するだけなのだが。おそらく、勇の死を聞いた馴染みの芸妓が「なんで菊の花になっておしまいやしたんえ」と嘆いていたという谷崎潤一郎の記述から、菊の花を手向けるようになったのだと思う。ちなみに勇の誕生日はひと月前の10月8日である。

京のお店は“流れ星”

一力のおあさに聴きしはなしよな 身につまさるる恋がたりよな

一力の縁に燕がはこび来し 金泥に似る京の土かな

 そうこうしているうちにお昼になったので、花見小路へ。一力亭で仕出しでも、と言いたいところだが、こちらは一見さんお断り。そのはす向かいにある割烹『橙』が本日のお目当てだ。もうかれこれ6〜7年になるだろうか、京都に来たときは必ず立ち寄る店だ。

一力亭の屋号はもともと「万屋」だったのだが、ここで大石内蔵助が豪遊していたことから、「仮名手本忠臣蔵」の舞台にも登場することになった。その際、幕府に配慮して大石内蔵助を大星由良助に変えたのと同様、「万」の字を二つに分けて「一力」に変えた。ところが、芝居が大当たりして「一力」の方が有名になってしまったため、屋号を変えたとのこと(写真上)。「橙」の隣に「万イト」の看板が見えるが、これはこの建物が、かつて「万屋(一力)」から暖簾分けしたお茶屋だった頃の名残り(写真下)→

 ご主人の山村さんは生粋の祇園育ちで、すでに喜寿を過ぎたご高齢ながら、同志社大卒の板前という変わり種。話を聞くとかなりの“不良学生”だったらしいが…。かつてはかの文豪・川端康成もここに通った。小上がりに立派な書が残されており、以前「川端さんってどんな人でした?」と聞いたら「お客さんやから、みんな一緒や」と素っ気ない返事。

 一時はミシュランガイド関西編の候補にもなったらしい。「審査の人が来たなぁ。外人さん連れで、見ればすぐにわかる」とご主人。ところが「あれはサービスにも点が付けられるでしょ。だからダメ。うちは愛想がないもの」と奥様。するとご主人「(ミシュランの)星なんか関係あらへん。京都のお店はみんな“流れ星”やから」

 基本メニューは季節で変わるのだが、この時期は何よりも「甘鯛(ぐじ)のかぶら蒸し」が絶品だ。この料理だけでもわざわざ行く価値はある。先付け、松茸の土瓶蒸し、卯の花、カレイの焼き物、玉子焼き、ちりめん山椒と松茸ご飯、かぶら蒸しが味わえるランチコース3,000円は非常にお値打ち。ご主人は体調が悪そうだったが、帰りには玄関まで送って下さった。「春にでもまた寄らせていただきます」と言って店を後にした。さっきまで熱燗を飲んでいたので体は温まっていたのだが、少し歩くと木枯らしが吹いていた。もう12月。思わずコートの襟を立てる。<第五章へ>

狼藉と祇園の秋を吹きみだす 比叡おろしよ愛宕おろしよ