第ニ章:散る桜残る桜も散る桜

近いようで遠い?

 桜巡り2日目! 今回のメインともいえる姫路城へ! ホテルの屋上から見ても凄く存在感のある立派なお城。朝からテクテク歩いて、もう目の前に見えてるのに、中々辿り着かない姫路城(笑) やっと着いた頃には暑さで少々汗かいてました。でも城郭の中に入ると、汗なんて吹き飛んでしまうほど美しい桜!さくら!サクラ! 明石〜赤穂〜龍野ときて遂に満開! これぞお花見!と勝手に大興奮。

 姫路城と言えばご存知の通り、現存12天守の一つで国宝や重要文化財に指定されていますよね。ユネスコの世界遺産にも選定されている、まさにお城の中のお城。そんな名城を作り上げたのは、播磨姫路藩の初代藩主・池田輝政。信長〜秀吉〜秀頼〜家康〜秀忠と、各時代のトップに仕え、激動の戦国時代を生き抜いた名君ですが、若い頃は一人で5、6人を討ち取るほどの猛将だったのに、その武勲を誇るわけでもなく、仲間を大切にし、裏方仕事も進んで引き受ける寡黙、寛容、剛直な人柄。そんなところが評価されて、トップが変わっても信頼され続けたのかもしれませんね。

二度の危機を乗り越えて

 しかし、これほどの名城でも何度か焼失や破壊の危機があったそうです。ひとつは、幕末に起こった鳥羽・伏見の戦い。当時の城主・酒井忠惇は幕府側の要職・老中であったため、姫路城は新政府軍に包囲され、総攻撃の気運が高まる中、勤皇派の豪商・北風正造が15万両という莫大な私財を投じて両者を仲介、無事に城は官軍に明け渡されました。

 二つ目は、太平洋戦争での姫路空襲。当時、姫路には陸軍の拠点があり、軍需産業も盛んだったため、B29の標的になりました。昭和20年7月3日の空襲で城下は焼け野原になりましたが、カモフラージュのために黒い網で城の主要部分を覆い隠したことや、たまたま落ちた焼夷弾が不発だったこと、市民による必死のバケツリレーの甲斐あって、奇跡的に難を逃れたそうです。まさに官民一体となって守り続けた城なんですね。

 姫路城は1934年から1964年まで、戦争をはさんで31年間に渡る「昭和の大修理」を経て根本的な修復を終え、さらに2009年から2015年にかけて行われた「平成の修理」で、建設当初の“白鷺城”本来の姿に戻ったのですが、あまりにイメージが変わったせいか、“白すぎ城”などと言う人も。でも、テレビで見るのとは違って、さすがに生で見る大天守は圧巻。“白すぎ”どころか、朝日に輝く純白の漆喰壁に感激もひとしお。

 その白壁と桜のピンク、そして青い空が奏でる美しいコラボレーション。私は知らなかったのですが「平成の修理」の間、風雨から守るために実物大の天守が描かれたメッシュシートを外壁に貼って、景観にも配慮していたそう。戦時中の「黒い網」とは違って、平和な時代の遊び心ある配慮に、なんだか心がほっこりしたところで、道順に沿って城内へ。

悲運の姫君が暮らした場所

 木製の花菱が飾られている菱の門をくぐり、左に曲がって西の丸へ。武者溜まりがあったという広い庭園を経て靴を脱ぎ、城郭の中に入ります。西の丸には悲運の姫君、千姫ゆかりの部屋がたくさんあります。徳川秀忠と江の娘として生まれ、わずか7歳で豊臣秀頼と結婚。大坂夏の陣で落城寸前の大坂城から祖父・家康の命で救出された後、桑名藩主・本多忠政の嫡男・本多忠刻と再婚。その後本多家が播磨姫路に移封となってこの姫路城で暮らすことになります。この時千姫20歳。

 しかし、幸せは長く続きませんでした。長男や夫、姑、母の相次ぐ死を機に、娘とともに江戸城に移った後は、三代将軍の姉として大奥で権勢を振るいながら、70年の波乱の生涯を終えました。

 その千姫に仕えた侍女たちが居たのが百間廊下。自然の地形に合わせ、延々と続きます。その間には石落としや沢山の狭間(さま)があり、女性の居住スペースであっても、さまざまな防御の工夫を凝らした城郭であることが分かります。百間廊下を抜けると、ようやく大天守が近づいてきました! いよいよだ〜と期待に胸ふくらませながら、さらに歩きます。

 上から大手前から望む天守、二の丸付近の風景、天守内部、刑部神社、お菊井戸→

 あれ? もうすぐそこのはずなのに全然辿り着かない…。どうやらこれがこのお城の策略。戦いの時に簡単には敵に攻め込まれないように、わざと複雑な道筋になっているんですって。え? みなさんご存知でした? スイマセン、ワタシもっと勉強します(汗) 

怪談?の残る大天守

 まるで迷路のような順路に沿って行くとついに! ついにとうちゃーーく!! いよいよ大天守の中へ。いざ一歩足を踏み入れると、グワッと掴まれるような何かを感じました。何ていうんでしょう、歴史を肌で少し感じられたような、そんな不思議な感覚。この地に685年間存在してるという重み。きっとこの城は長い間色々な人生や世界の移り変わりを見守ってきたんだなと思いました。どこか威厳がありながらも優しく包み込んでくれるような、そんな感覚。

 大天守に着いた今、目指すは最上階! 途中で目にするのは太い柱や梁、黒光りする床板、無数の鉄砲掛け…。たださすがに姫路城。観光の方が大勢で、人の流れにまかせてゆっくり見られたような、気付けばもう着いてしまったような(笑) いやーーそれにしてもお城の階段って本当にどこも急ですよね。昔の人はどのくらいの早さで上り下りしてたのでしょうね? 尊敬します。皆様も観光の際は足元にはくれぐれもお気をつけて。

 ところで、天守の最上階に小さな祠があるのですが、これは刑部(おさかべ)神社と言って、ここに隠れ住み、年に1度だけ城主と会って城の運命を告げていたという長壁(おさかべ)姫の伝説にちなむもの。この姫の祟りを鎮めるために神社が建てられたとか。最上階には妖怪伝説もあって、これを逗留していた宮本武蔵(2度めの登場ですね)が退治したという言い伝えもあるそうです。

 また、城の東側、太鼓櫓の近くにある「お菊井戸」は、全国にあるという“皿屋敷伝説”のルーツ(播州皿屋敷)だそうで、江戸では「番町皿屋敷」として有名ですよね。「いちまい足りない、うらめしや〜」というあれです。室町時代の姫路城を舞台にした伝奇ものが江戸時代に浄瑠璃として上演されて有名になり、全国に広まったようです。

←上から京都・伏見の「頑固麺」、勧修寺門前のしだれ桜、勧修寺書院の襖絵、桜に囲まれた観音堂

うららかな名刹・勧修寺

 さてさて、お次はお待ちかね、春爛漫の京都。姫路から高速に乗って車で約2時間、姫路城でいっぱい歩いたので、ここでお昼ご飯ターイム☆ ラーメン好きなそこのあなた、お待たせしました! 2日目のお昼もラーメン! 伏見の「頑固麺」さんです。今回は昨日とは真逆のチャーシューが特大の、ポタージュかと思うようなクリーミーなこってり系ラーメン。中太麺にお味しっかりめのトロトロなスープがいい絡み具合。大変美味でございました!

 というわけでここから先は京都のお花見、定番中の定番と地元の人が愛する穴場を併せてご紹介! 最初の目的地は観修寺(かじゅうじ)。このお寺は今年のJR「そうだ 京都、行こう」のCMでTV放映され、人気赤丸急上昇の注目スポット。今から1118年前、醍醐天皇が創設したと伝わる皇室ゆかりの門跡寺院(真言宗)です。山門へ向かう参道の両側には美しい白壁の築地塀。そしてその上に顔を出した満開の桜。今回の京都再訪を歓迎してくれているみたいで嬉しくなっちゃいました。清水寺などの大観光地に比べると全体的にこじんまりとした印象ですが、お寺本来の落ち着いた雰囲気があります。

 門前には美しく咲き誇った一本の枝垂れ桜。そして境内に入ると、なんとも雅な庭園が姿を現します。桜は満開でもちろん綺麗なのですが、水鳥が遊ぶ「氷室の池」の水面に映る桜もまた素晴らしい。不謹慎ではありますが、お酒をクイっとやりたくなっちゃうような、和の風情ある景色にうっとり。桜に囲まれた観音堂は高貴なオーラをまとっていて、思わず背筋がピンとなりました。そしてラッキーなことにいつもは非公開の宸殿・書院・本堂をこの日は公開していたのです!!

 後西天皇の住まいだった建物を下賜されたという書院。早速入ってみるとそこには土佐光起・光成父子の作(異説もあり)と伝えられる、全面金箔の上に描かれた豪華な襖絵が。非公開の甲斐あって色あせも少なく、煌びやかなその部屋は何とも言えない気品にあふれた空間。しかもまさかの撮影OKだったのです! どうやらご住職の「貴重なものは後世に伝えなければ」との想いから撮影が可能になったのだとか。それを知ったら更に勧修寺が好きになってしまいました。今回の桜巡りの中では、私はこの勧修寺を一番におすすめしたいです!

壮大なスケール「醍醐の花見」

 勧修寺を満喫した後は、すぐ近くにある醍醐寺へ。京都のお花見スポットとして大定番のひとつ。豊臣秀吉の「醍醐の花見」でも有名ですよね。こちらは今回巡った中で一番桜が満開で綺麗でした! 三宝院の太閤桜を始めとする老木の数々が歴史を感じさせます。重みで折れてしまうので、棒でしっかりと支えられていた枝を見て、桜といえば“かわいい”という印象から、一気に豪華で重厚な印象に変わりました。

 広い境内もしっかりと回りましたよ。秀吉自身の設計という三宝院の庭園は綺麗に手入れされていて、まるで一幅の絵のよう。創建当時(平安時代)のまま現存する国宝・五重塔は近くまで行くと威圧感というか貫録を感じました。

               上から三宝院の名木・太閤桜、国宝の五重塔→

 ちなみに、この五重塔の中心にある太い「心柱(しんばしら)」は、その根元が地面に埋められているわけではなくて、石の上に乗っているだけ。つまり、浮いているような状態で、実際に塔を支えているわけではないそうです。これは、地震の際に5層の屋根が振り子のように互い違いに揺れるため、柱とそれを取り巻く構造間の“遊び”が功を奏し、絶妙なバランスが生まれるのだとか。実はこの不思議な構造、現代の東京スカイツリーにも応用されているそうです。1000年以上前の技術が今も生きているなんて驚きですよね。

 カワヅザクラ、シダレザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラ、ヤエザクラ、オオベニシダレ、オオヤマザクラなど、境内の桜は約800本。桜も建物もいろいろ見たなぁと満足感に浸っていたら、実はワタシが歩いたのはごくごく一部で、背後の醍醐山と笠取山を含めて、境内は200万坪以上あるそうです。その中にある宝物は国宝だけで75,522点、重要文化財が425点、未指定を含めれば約15万点あるとか…。代表的なものは霊宝館に展示されていて、近代的設備の中で厳重に展示保管されています。

 その霊宝館に、イケアが店内の家具をコーディネートしたお花見カフェ(カフェ・スゥ・ル・スリジエ)があります。ここで一息ついていると、お店が半ばオープンスタイルになっているので、風に吹かれて沢山の花びらが舞い込んできます。なんと美しいんだろうと思いながら、咲けば必ず散る寂しさと儚さを感じた瞬間。儚いからこそ美しさが際立つのでしょうね。こうして春が終わり夏が来て秋、冬と季節は巡る。日々の忙しさに紛れて気がつかない四季の移ろいを、これからはもっと感じられたらいいなと思いました。

 散る桜残る桜も散る桜(良寛・辞世の句)

春爛漫、世界は美しい

 醍醐寺をあとにしてこの日はもう一箇所行きたいところがありました。京都の大石神社です! 内蔵助が山科に隠棲していた時の邸宅跡に建てられたもの。赤穂の勇壮さとはまた全然違って、落ち着きある少し寂しげな雰囲気。でもここでしか味わうことができないものが…。それは名物のしだれ桜「大石桜」と、神社のアイドル花ちゃんです!! 小さなお馬さんですが、ロバでもポニーでもありません。正確に言うとファラベラ・ミニホースの花子さん。写真を撮ろうとするとご丁寧にこちらまで来てくれました。なんて人懐っこいんだろ。きっとこの子に会うために私はここに来たんじゃないかな…。素敵な思い出をありがとう、花ちゃん。

←上から大石神社社殿と大石桜、神社のアイドル花子ちゃん、祇園「やすかわ」、祇園新橋

 この日は一日中歩き回ってさすがに疲れましたが、ホテルでチェックインする間もなく、お楽しみの夜ご飯タイム☆ 本日のお食事は祇園の名店「やすかわ」さんで、京都ならではのお出汁のきいたおでんでございます! こちら関西では「関東炊き」なんて言いますよね。でも、おでんでお腹いっぱいになるのかしら? と思ってましたが、おでんをなめたらあかん。おでん以外にもいろいろいただけるコースということもあって、結局お腹がパンパン。関東のおでんとは違って色は薄いのにお出汁がしっかりしてるので、口の中にまろやかで上品なお味が広がります。たまに私もおでんを作るのですが、どうしたらここまで素材の味を生かせるお出汁がとれるのかしら…と一口一口噛みしめながら頂きました。

 日本酒もたくさんいただいて、そのままほろ酔い気分で石畳が素敵な祇園新橋へ。今回初の夜桜見物。なんだか見るものすべてが綺麗に見えるなぁ。

 清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人みなうつくしき(与謝野晶子)

 そんなこんなで第二章はここまで。続きは第三章で!! <第三章へ>