第一章:どこから生まれた?桃太郎〜伝説の地・吉備路

 季節ごとにテーマを決め、ゆったりしたスケジュールで古都を歩く。日本の原風景を求めて…。そんな旅こそ“アラカン世代”にふさわしいのではないだろうか。第11回目は、前回に引き続き宝塚OG、華月由舞さんが案内する初夏の岡山・倉敷。

伝説のヒーローは今が旬?

 またお会いしましたね。華月由舞(はなづき・ゆま)です。前回の京都編、いかがでした? あの時はお天気が悪い上に、真冬みたいに気温が低かったので、寒さに震えながらのレポートでしたが、あれからすぐ、気温が嘘みたいに上がっていって、5月中の東京は真夏のような暑さが続きましたよね。5月って、もっとさわやかなイメージだったんだけどなぁ…。

 そんなわけで、連日の夏日のせいでちょっと日焼けした私…。というのは嘘で、友人の結婚式に出るために短期間ハワイに行ってました (^^ゞ。寒いのが苦手な代わりに、夏とビーチが大好きな私。今回のロケはどこかしら? もしかしたら沖縄とか? なんて期待していたら、「今回は岡山と倉敷に行って下さい」という編集長の指令。…ん? 岡山? 岡山って言えば、宝塚時代に公演でお邪魔した記憶が…。でも、あんまり印象がないんです。あ、岡山出身の方、ごめんなさい m(_ _)m 公演で行く都市って、ほとんどホテルと会場の往復になってしまうので、街や観光地を歩く時間が限られているんです。だから、憶えているのはホテルと駅がほとんど。これは岡山に限ったことではないんですよ。

写真上からCMでもおなじみの岡山駅東口にある桃太郎像、桃太郎のイラストが描かれた消火栓の蓋、鬼の金棒をイメージしたガードレールポスト→

 でも、倉敷は良く憶えているんです。宿泊したホテルが美観地区のすぐ近くにあったので、空いた時間に、仲の良い同期のコ達と観光に行きました。楽しかった青春の1ページ。いろんなお店があって、きれいな街だったなぁ。

 そんな風に懐かしんでいたら、編集長から思わぬ一言。「あ、倉敷とか岡山後楽園なんかはみんな知ってるから、普通の観光案内でいいけど、今回の主要テーマは“桃太郎電鉄”じゃなくて“桃太郎伝説”。桃太郎といえば某通信会社とか某飲料メーカーのCMで盛り上がってるだろ。その桃太郎の故郷が岡山だってことは、某社のお父さん犬もCMで紹介してるよね。岡山起源説は、古代の皇族・吉備津彦命(きびつひこのみこと)にまつわる神話がもとになっているんだ。桃太郎っていうのは、あれでなかなか奥が深いんだよ」

 桃太郎の“奥の深さ”がよくわからないままに、眠い目をこすって早朝の新幹線で岡山へ。東京から3時間43分。移動時間が長いので、その間に編集長の言っていた吉備津彦命について私なりにネットで調べてみました(今は新幹線内でもWiFiが使えますからね)。吉備津彦命というのは、『日本書紀』にも『古事記』にも登場する古代のヒーロー。第7代孝霊天皇の第3皇子で、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)という舌を噛みそうな名前が正式なのだそうです。この人は崇徳天皇の命で、朝廷に反抗する地方豪族なんかを黙らせるために全国に派遣された将軍の一人で、吉備国(現在の岡山県全域と広島・香川・兵庫の一部)を平定して治めたことから吉備津彦命と呼ばれるようになったみたい。その闘いの中で、温羅(うら)という鬼を討ったとされていて、この話が桃太郎の原型になっているとのこと。その時に同行した犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来が、犬、猿、キジのモデルなのだとか。

 加えて桃が岡山の特産品であることや、「ひとつわたしに下さいな」の“黍団子”と、地元に古くから伝わる“吉備団子”の一致も、桃太郎岡山起源説を裏付ける重要な要素なのだとか。ふ〜ん…。でも、“黍団子”の黍は材料名であって、“吉備団子”の吉備は地名なんじゃないの? それに、吉備津彦命は281歳で亡くなったって言うけど、いくら何でも長生きし過ぎ。

 話の真偽はともかく、吉備津彦命を祀った神社がたくさんあったり、吉備の人々を苦しめた温羅(うら)という鬼がいたという「鬼ノ城」が復元されているということで、とりあえず翌日レンタカーを借りて現地に行ってみることに。でも、あまりに長い間スマホの画面を見ていたせいか、私はすっかり新幹線酔い。特に、神戸を過ぎた辺りから揺れが大きくなるんですよね。あと1時間、グロッキー状態解消のために少しだけ仮眠。

街中に溢れる“桃太郎ラブ”

 ふと気がついたら岡山駅に到着。あぶないあぶない (~_~;) 寝過ごしたら博多までいっちゃうかも。駅前のホテルに荷物を預けて、初日は岡山城と後楽園取材。内容は第二章で詳しく紹介するとして、それにしても岡山は、予想を遥かに超える“桃太郎の街”でした。駅前のブロンズ像を始めとして(なんだかキジの数が多いなぁと思ったら、それは桃太郎の手に乗った本物のハトでした)、駅前通りは「桃太郎大通り」。その歩道には至る所に桃太郎、犬、猿、キジのブロンズ像が…。それをちゃんと数えた人がいて、全部で桃太郎6体、犬4体、猿5体、キジ4体なのだそうです。気がつけばマンホールや消火栓の蓋まで桃太郎。よ〜く見れば、車道のガードレールポストは鬼の金棒! あ〜、どんだけ桃太郎好きなんだか…。

 そんな岡山市民の熱烈な“桃太郎愛”に、いまひとつ乗り切れない私でしたが、翌日は朝からいい天気。駅前でレンタカーを借りて、早速目的地へ。吉備津彦命を祀った代表的な神社は岡山県内に2つ、広島県福山市や、香川県高松市にもあります。私が選んだのは、吉備津彦信仰の総本社である吉備津神社。この神社は吉備の中山という山の麓にあって、この中山は富士山のように信仰の対象となっている神体山なのだそうです。

 私は神社仏閣に詳しい方じゃないけど、好きか嫌いかと言われれば結構好きな方。でもこちらの場合私のような素人でも、本殿へと登っていく階段から、神社としての格の高さが伺えます。階段を登り切ると拝殿が見えてきます。まずここで二礼二拍一礼。さらに奥に進むと本殿が。そして、この本殿最大の特徴である「比翼入母屋造」の全体像が見えてきます。その美しさにちょっと感動。「比翼入母屋造」っていうのは、簡単にいえば2棟を1棟にくっつけちゃった形で、破風っていうのかな。屋根の三角形の部分が2つきれいに並んでいるんです。

←写真上から吉備津神社拝殿に続く階段、「比翼入母屋造」が美しい吉備津神社本殿、桃太郎のイラストが描かれたおみくじ売り場、社務所で販売されている桃太郎の絵馬

 ちなみに、足利義満が建てたと伝わるこの拝殿も本殿も国宝だそうです。やっぱりなぁ…。さらに拝殿の横には、400mもの長い回廊があったり、鳴釜神事という、お釜を使った珍しい占いが行われる御釜殿もあります。この鳴釜神事の由来ですが、吉備津彦命に刎ねられた温羅の首が死んでもうなり声を上げ続けたので、犬に食べさせて骸骨にしたのですがそれでも止まない。困って御釜殿の地下深くに埋葬してもやっぱり止まない。困り果てた吉備津彦命でしたが、ある晩温羅が夢に現れて「私の妻に神饌(お米)を炊かせれば、私自身が使いとなって、吉凶を告げよう」と告げ、それからはうなり声が収まったというお話。

 なにやらホラー感全開な話で、桃太郎のほのぼの感とはちょっとかけ離れているような気もしましたが、そこは“桃太郎ラブ”に溢れた土地柄。社務所の隣には一周するとアニメっぽいイラストで桃太郎のストーリーがわかる六角堂風のおみくじ売り場、社務所には期待通りの“桃太郎絵馬”が。

 そもそもこの神社が建てられた土地は、吉備津彦命が温羅を討つための本陣だったのだそうです。2人の対決にはこんなエピソードがあります。「吉備津彦命は温羅に矢を1本ずつ射たが矢は岩に呑み込まれた。そこで今度は2本同時に射て温羅の左眼を射抜いた。温羅は雉に化けて逃げたので、吉備津彦命は鷹に化けて追った。すると温羅は鯉に身を変えて逃げたので、吉備津彦命は鵜に化け、ついに温羅を捕らえ、討ち取った」

 この周辺には楯築遺跡、矢置岩、矢喰宮、血吸川、赤浜、鯉喰神社といった2人のバトルを象徴する名所がたくさんあります。でも、桃太郎が鬼を退治するエピソードには、矢を2本放ったとか、変身を繰り返したとか、そういう凝ったディティールは出てこないので(よく考えると、犬や猿に負けちゃう鬼って、あんまり怖くないですよね)、ますます吉備津彦命=桃太郎説には違和感を憶えた私ですが、そんなことを言い出すと“桃太郎ラブ”な地元の皆様に石をぶつけられそうな気がしたので、早々に次の目的地・鬼ノ城へ。

意外にさわやか?鬼の城

 鬼ノ城(きのじょう)は、その名の通り総社市の鬼城山にある古代の城跡です。伝説では温羅=鬼の本拠地だったということですが、どんな鬼かといえば渡来人(百済の王子、出雲、新羅など諸説あり)で、吉備の地に製鉄技術を伝えて一帯を支配。暴政で吉備の民を苦しめた。見上げるような大男で怪力無双、大酒飲みで空を飛ぶこともできたとか。ちなみに弟の名前はそのまんま「王丹(おに)」。冷静に考えれば、そんな人間離れした怪物が本当にいたとは思えないので、ランチついでにまたいろいろと調べてみると、坂上田村麻呂率いる朝廷軍と戦った東北地方の英雄・阿弖流為(アテルイ)のような、地元豪族の一派ではなかったかという説が…。

写真上から展望台から見た鬼ノ城城壁、復元された鬼ノ城西門→

 歴史というのは勝者に都合の良いように書かれるものですから、温羅という人(あるいは一族)がアテルイ同様悪人でも何でもなくて、強引な朝廷の服従命令に抵抗しただけだったのかもしれません。研究者によっては、地元豪族同士の内乱があって、そこを朝廷につけ込まれたという説もあります。

 かつて戦時下に『桃太郎 海の神兵』といった戦意高揚アニメが作られたように、桃太郎の話が“軍国主義的”教育に利用されたという歴史がありました。桃太郎が利害関係の無い鬼を突然襲って宝物を奪うというストーリー展開には、なんとなく「暴力による侵略」の匂いがします。この危険性について指摘したのが福沢諭吉や芥川龍之介で、芥川の筆による桃太郎の危険なパロディは『青空文庫=こちらをクリック』で読むことができます。

 つまり、桃太郎の話にも吉備津彦命の神話にも、意図したかどうかは別として、吉備津彦命=桃太郎=権力者・征服者、温羅=鬼=地方の民・被征服者というニュアンスが隠されているような気がするんですよね。あ、これって私が考えたわけじゃないですよ。いろんな学説からの“受け売り”です (^_^;)

 では、実際の温羅とはどういう人(人たち?)だったのでしょうか。製鉄技術を伝えたということから推測すれば、百済の滅亡によって朝鮮半島から日本(倭国)へ亡命してきた貴族の一派という可能性もあります。実際、百済滅亡後に白村江の戦いで倭国が敗れたため、『日本書紀』にはその後の唐と新羅からの侵攻に備えて、西日本に12の山城を築いたという記述があります。鬼ノ城もその一部だという説が有力で、朝鮮式山城という建築方式であることから、建造に帰化人が関わったと考えても不思議ではありませんよね。でも、具体的に鬼ノ城の存在を示す史料はほとんど残っていなくて、そこが伝説を産み、謎を呼んできた原因なんでしょうね。

 鬼ノ城へ行くには、車一台分しか通れない細い山道を登っていきます。ちょっぴりアドベンチャー気分。しばらく行くと、駐車場とビジターセンターが見えてきます。車を降りて遊歩道を少し歩くと、西門と城壁が見渡せる展望台があります。青空と緑に囲まれた城壁は壮観!のひとこと。眼下には美しい田園風景が広がります。ウグイスがこれ以上無いっていうくらい透き通った声で鳴いていて、宝塚歌劇団に招待したいくらい。あ〜、とってもさわやか。「鬼ノ城」なんて怖い名前じゃなかったら、結構素敵なハイキングコースです。

 西門まですぐに行けるので、さらに登ってみました。ここにも展望台があって、風がさわやか。こんな場所で花火とかバーベキューなんかやったら気持ちいだろうな。絶対怒られるだろうけど…。

 今回は時間がなかったのでそれ以上先には進みませんでしたが、奥には謎の岩屋とか巨石群があって、古代史ファンにはたまらない遺跡のようです。足に自信がある人は、是非チャレンジしてくださいね。

のんびり行こうよ吉備路

 “桃太郎伝説”には直接関係ありませんが、せっかく来たので、吉備津神社に行く前に、吉備路のシンボル的存在である備中国分寺にも立ち寄りました。こちらのユニークなところは、のどかな田園風景の中に忽然と立派な五重塔が現れること。江戸時代に再建されたもので、奈良時代の創建当時は七重塔だったそうです。

 国分寺の史跡は東京を含め、全国各地にありますが、往時の面影を残している場所は少なくて、境内の配置や面積が創建当時とほぼ同じというこちらの史跡はとても貴重なのだとか。すぐ近くに備中国分尼寺の遺構もあります。

←備中国分寺五重塔

 駐車場から境内までなだらかな坂を登っていくのですが、敷地内にはシロツメグサで一杯の美しい原っぱが広がっています。ちょうど地元の小学生が遠足に来ていて、すれ違う度に「こんにちは〜」と声をかけてくれます。なんて可愛いの! 境内を見学した帰り道、ちょうどお昼の時間だったので、子どもたちは原っぱの木陰で思い思いにお弁当を広げていました。

 東京生まれ、東京育ちの私にとって、その光景は子供の頃の憧れ。こんなに広い原っぱがあったら、思い切り駆けまわったり、シロツメグサでネックレスを編んだり、四つ葉を探して押し花にしたりしただろうなぁ。大人になった今は、そんなことはもうできないかもしれないけど、せめてウチのワンちゃんたちの首輪を外して、好きなだけ遊ばせてあげたい。

 吉備路のいいところは、何より牧歌的でのんびりしているところ。このおおらかさは古代の遺跡がある土地に特有というか、奈良の斑鳩の里なんかに少し似た感じがあります。こんな土地で温羅征伐の血生臭い伝説が残っているのが不思議なくらい。結局、桃太郎岡山起源説の確証を得ることはできなかったのですが、ここが神々の伝説の地であることは確か。柳田国男が指摘しているように「昔話とはかつての神話の零落した一つの姿」とすれば、吉備津彦命の神話が桃太郎の昔話に変容したとしても不思議ではありませんよね。(・ω<)
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