第ニ章:国際化と信仰~函館名所めぐり

箱型の館だったから箱館

 函館の歴史を紐解いていくと、先住民族であるアイヌが深く関わっていることがわかります。アイヌの人たちは、古代から蝦夷地だけではなく樺太・千島列島、さらにはカムチャツカ半島にまで生活圏を広げていて、狩猟による毛皮や海産物を交易品として、現極東ロシア沿岸部の人たちと友好関係を築いてきました。

 平安時代には奥州藤原氏が豊富な埋蔵量を誇った金を背景に、アイヌを介した交易を行っていたことが知られていますし、平安〜鎌倉時代には陸奥の豪族・安東氏が青森の十三湊を拠点にアイヌとの交易を深め、最盛期には中国や朝鮮半島とも取引があったことがわかっています。昔の東北地方は、実は博多などと同様に海外貿易の窓口だったんですね。

 その安東氏の家臣であった河野政通が1454年、主君と共に蝦夷地に渡り、宇須岸(うすけし)という漁村に館を築きます。その館(宇須岸館)が箱型だったことから、箱館という地名になったとか。しかし、先住民であるアイヌにとって和人の一方的な進出は対立を深める要因となります。1457年のコシャマインの戦いなどを経て、1512年には宇須岸館が陥落。アイヌの抵抗は激しさを極めました。しかしその後、武田氏、蠣崎氏といった安東氏を主家とする武将によってアイヌは一旦平定され、この二氏の血流が後に松前氏となって松前藩の誕生を見ることになります。

 長い間さびれた漁村だった箱館ですが、亀田川の土砂が沿岸に運ばれて天然の良港になった1700年ごろから物流港として栄え初め、北前船による東西の長距離輸送が定着するとその寄港地になります。さらに高田屋嘉兵衛の尽力もあって、江戸後期には松前・江差と並ぶ商業基地になっていきます。

元町の素敵な洋館たち

    写真上からカトリック元町教会、函館ハリストス正教会、旧函館区公会堂→

 そんな物流・漁業基地だった箱館を一気に変貌させたのが、幕末の開国でした。横浜・神戸・長崎・新潟と共に、5大国際港に指定されたわけです。元町に外国人居留地も設置され、街並みも一変します。元町の丘陵地帯に今も洋風建築が並んでいるのはこの頃の名残なんですね。この点は横浜や神戸と同じ。元町という地名まで同じですよね。

 その洋風建築ですが、キリスト教圏の人たちにとっての最優先事項が教会の建設。元町には重要文化財に指定されているロシア正教会系の函館ハリストス正教会(ハリストスとはキリストのギリシャ語読みなんだそうです)を始め、フランス人司祭が建てたローマカトリック系のカトリック元町教会、イギリス聖公会系の函館聖ヨハネ教会という3つの教会があって、それぞれ建築様式も違っていて独特の趣があります。

 ちなみに函館ハリストス正教会は、1917年に始まったロシア革命を機に日本に亡命してきたロシア人たちの心の拠り所でもあったようです。名投手スタルヒンや洋菓子のモロゾフ、ゴンチャロフといった人たちも亡命ロシア人でした。当時の函館は多くのロシア人を受け入れたことでも知られていました。

 また、かつて地名の元になった宇須岸館があった高台に造られたのが現在の元町公園。ここには旧北海道庁函館支庁庁舎(現函館写真歴史館)や、レンガ造りの旧開拓使函館市庁書籍庫があります。そしてこの地は、五稜郭に移転する前の箱館奉行所があった史跡でもあります。さらにこの公園に隣接しているのが函館市旧イギリス領事館、旧相馬邸、重文の旧函館区公会堂といった歴史的建造物。歴史好き、建築好きの方なら一日中歩きまわっても飽きないでしょうね。冬のクリスマスシーズンは特にロマンチックなんだそうですよ。

 そんなわけで、元町をプラプラ歩きながら異国情緒を満喫?していたら、あるものを見つけて目が点になっちゃいました。それは「昆布無人販売所」。日本の無人販売所は、日本人の国民性を示す見本として今や世界的に有名らしいのですが(you tube なんかで外国人観光客にたくさん紹介されています)、さすがに昆布のお店は初めて。看板を見たら「無人販売は日本の良心です」って書いてありました。でもこれ日本語で書いてあるから日本人にしか読めないかも。

←写真上から昆布の無人販売所、八幡坂の眺め

 そして、函館の観光写真に必ず登場するのが、八幡坂。日経新聞のランキングでも「観光で訪れたい坂の名所ベスト10」で堂々の第1位! ハリストス正教会の西隣、函館西高の正面から金森倉庫付近に向かってまっすぐに伸びた坂です。晴れた日には海と空と並木の美しさが一体になって、本当に函館らしい風景。坂の下から見ると函館山の緑と洋館のカラフルな色が一緒になって、それはそれで美しい景色なのですが、結構傾斜が急なので、上まで登りきるには大人でも7~8分かかって、結構息が切れるそうです。

クッキーとバター飴とハマナス

 さて、函館というとあなたは何をイメージしますか? 夜景とか北島三郎とか、人によってさまざまだとは思いますけど、私の場合、真っ先に思い浮かぶのがトラピストクッキーとバター飴。素朴で美味しいんですよね~。そのクッキーや飴を作っているのが、箱館市街地から車で約1時間のトラピスト修道院。

 1896年(明治29)年に、フランスから来たジェラル・プーリエら9人の修道士たちが創設した日本初の男子トラピスト修道院で、正式名は灯台の聖母トラピスト大修道院。トラピストというのは、厳律シトー修道会というカトリック修道会のひとつで「典礼を重んじ、沈黙・禁欲・観想・菜食の戒律を厳格に守り、農業労働の共同生活をする」のだとか。ちなみに女人禁制。

写真上からトラピスト大修道院に向かう並木、トラピスト大修道院正門、トラピスチヌ修道院、立待岬のハマナス→

 修道院の建物に向かう途中、いかにも北海道という感じの風景に出会えます。それはまっすぐに伸びた並木。北大のポプラ並木も有名ですが、こちらの並木はスギ520本、ポプラ69本という壮大なもの。テレビのコマーシャルなどでも良く使われるそうです。でも、正門に行くまでなだらかな坂がず~っと続いているので、冬に雪が降ったら登るのも降りるのも大変そう。見学は予約制の上に女人禁制なので、私は正門までしか行けませんでしたが、駐車場に売店があったのでいろいろ買い込んできました。ご当地限定のバター飴もあるんですよ。

 トラピスト修道院が女人禁制なら男子禁制の修道院もあるんです。それが、函館空港のすぐ近くにあるトラピスチヌ修道院。1898年(明治31年)にフランスから派遣された8名の修道女によって創立されました。正式名は天使園トラピスチヌ修道院。敷地に一歩足を踏み入れると、どこをどう切り取っても美しい風景。これは建物とかお庭の美しさというより、ここに暮らす女性たちの心の澄んだ美しさが醸し出すものなのかも。売店で買える手作りのマダレナ(マドレーヌ)やクッキーも美味しいですよ。

 「赤とんぼ」の作詞者として知られる詩人・三木露風はトラピスト修道院で洗礼を受けているのですが、トラピスチヌ修道院を訪れた際に「野薔薇」という詩を書き、これに山田耕筰が曲をつけています。但しここでうたわれた「野薔薇」というのは一般的な野バラのことではなく、北海道花としても有名なハマナスのこと。

 実はトラピスト修道院を訪れる前に、ハマナスの花が見頃だという情報を耳にしたので、函館山の南東にあって、津軽海峡に面した断崖の上にある立待岬に行きました。狭い道を登っていく途中に集合墓地があるのですが、この一角に、石川啄木の墓があります。啄木は2年間北海道を放浪した時期があって、当初は函館にも住んでいました。啄木が愛した大森浜には銅像もあって、墓はこの海岸が見下ろせる地に友人たちが建てたのだそうです。

 それはさておき、目的地の立待岬は車から降りた瞬間、物凄い強風。結局目を開けていられなくて、天気は良かったのですが撮影はNG。肝心のハマナスもちらほら咲いているだけだったので、速攻で引き上げました。景色はすごく綺麗だったんだけどなぁ…。一応、三木露風の「野薔薇」を紹介しておきますね。

 のばら のばら
 蝦夷地(えぞち)ののばら
 人こそ知らね あふれさく
 いろもうるはし 野のうばら

 のばら のばら
 かしこき野ばら
 神の聖旨(みむね)を あやまたぬ
 曠野(あらの)の花に 知る教(おしえ)

 どちらの修道院も、写真パネルで修道士・修道女さんたちの普段の生活を垣間見ることができます。北海道の厳しい冬に耐えながらの自給自足生活。キリスト教徒じゃなくても心が洗われますよ。

夜景見るのに30分待ち

 さて、五稜郭、洋館、八幡坂、修道院ときて、やはり絶対に外せないのが金森赤レンガ倉庫ですよね。1863年(文久3年)に大分出身の初代渡邉熊四郎が長崎から箱館に渡り、1869年(明治2年)大町に金森森屋洋物店を開業したのがルーツ。旧幕府軍を圧倒する洋装の官軍を見て洋服の時代が来ると確信したのだそうです。

 この倉庫はもともとは金森洋物店のものではなく、共同運輸会社のものだったのですが、郵便汽船三菱会社と合併して日本郵船会社になった際に不要になったため、渡邉熊四郎が買い取って営業倉庫業を始めました。この事業が海運業の発展を契機にどんどん売上を伸ばし、一時は21棟もあったそうです。

←上から金森赤レンガ倉庫群、函館山から見る市街地の夜景

 しかし、昭和になって海運業や北洋漁業、造船業の衰退と共に規模の縮小を余儀なくされ、再び脚光を浴びるようになったのは「伝統的建造物」に指定され、1988年(昭和63年)に倉庫の一角が「函館ヒストリープラザ」として利用されるようになってから。その辺の事情は横浜の赤レンガ倉庫群と同じような感じですね。その後、金森美術館、BAYはこだて、金森洋物館、金森ホールといった文化・商業施設が充実して、今では函館最大の観光スポットになっています。

 ベイエリアの開発って、一時全国的にブームでしたよね。どこかで成功すると似たような大きなショッピングモールや飲食店が立ち並んで、デジャブ感漂う風景になってしまいがちですが、こちらは金森倉庫というキチンとした歴史がある建物なので、時間が育んだ風格がありますし、駅を降りてすぐに行ける立地の良さもいいですよね。この一角だけで海産物でも雑貨でも何でも揃っていて、お土産を買うなら最高のスポットなのですが、特に注目したいのがスイーツの充実ぶり。北海道のスイーツは常にトレンドが変化していて、ついこの前まで入手困難だった商品が今は当たり前に買えたり、新たな入手困難商品が生まれていたりと、こちらの“スイーツ戦国時代”はまだまだ終わりそうにありません。

 そして、箱館観光のラストに相応しいのが函館山からの夜景。神戸、長崎と並ぶ「日本三大夜景」のひとつ。函館山はもともとは海底火山のマグマでできた島だったそうなのですが、その後土砂が堆積して渡島半島(おしまはんとう)と陸続きになり、今の地形ができたのだとか。つまり、現在の箱館市街地はその砂州の上にあって、山の上から見るとそのことが良くかります。山麓からのアクセスは函館山ロープウェイ、一般道、登山道がありますが、一般道は4月25日~10月15日の17:00~22:00まで通行できませんし、登山道なら1時間ほどで登れるそうですが、照明がないので懐中電灯が必要とのこと。バスもあることはあるのですが、本数が少ないので、やはりロープウェイが一番便利でしょうね。

 取材当日は19時30分ぐらいが完全な日没になるということで、徐々に暗くなってくる19時ぐらいにノンビリと出かけたのですが、行ってみるとすでにロープウェイ前は長蛇の列! 以前行ったことのある人に「いつ行っても結構空いてるよ」って聞いていただけにビックリ。いざ並んでみたらほとんどが中国人観光客のようで、観光バスが何台もひっきりなしに駐車場を出たり入ったりしています。北海道は中国人に人気だと聞いていましたが、まさかこれほどとは…。

 そんなわけで、30分並んだ後、すし詰め状態でロープウェイに乗り込み、展望台へ。この日は霧もなく良く晴れていたので、夜景は最高でしたよ。でも、周囲は人だらけで歓声や嬌声のまっただ中。正直、あんまりロマンチックではありませんでしたが…。でも、これだけ人が来ているのだから編集長が言うような経済不況も心配ないのでは? と思ってタクシーの運転手さんに「中国の方がいらっしゃるから爆買いとかで街は潤っているんじゃないの?」って聞いたら「函館山はツアーの一部に組み込まれているだけで、見たらすぐよそに行っちゃう。ここには全然お金を落としてくれないんだよ。特にタクシーになんか滅多に乗らないしね」とぼやいてました。そうかぁ〜。現実はやっぱり厳しいのね。
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