第一章:道南・道央は洋館の宝庫

 季節ごとにテーマを決め、ゆったりしたスケジュールで古都を歩く。日本の原風景を求めて…。そんな旅こそ“アラカン世代”にふさわしいのではないだろうか。第18回目は、3年ぶりの登場、歌の巧さを活かし、6月にテレビの「カラオケバトル」に出演、つい先日は渋谷で単独コンサートと大活躍中の元宝塚歌劇団男役、扇けい(宝塚時代は扇めぐむ)さんが案内する9月の札幌・小樽。

戦争を生き抜いた名建築

写真上から札幌のシンボル、時計台と札幌の風景をうたった「この道」(you tube)→

 アラカン読者の皆様ご無沙汰しておりました、扇けいです。実は3年前の12月に、このコーナーでご紹介いただいた直後、身内に不幸がありまして、継続が難しくなったため1回きりの“登板”になってしまったのですが、先日久しぶりに声をかけていただき、晴れて“再登板”となりました。また“リリーフ”で終わらないよう頑張りますので、応援よろしくお願い致します!

 今回いただいたテーマは「麗しの洋館と石狩挽歌の世界」。まずは道央の中心部、札幌・小樽の風景には欠かせない、さまざまな洋館やレトロ建築について調べてみました。

 道東の中心、函館が“洋館の宝庫”であることは、以前このコーナーの第12回でご紹介しましたが、札幌・小樽にも同様に明治・大正時代に建てられた洋館やレトロ建築が創建当時と変わらない姿で数多く残っています。いわゆる“文明開化”によって、急激な近代化・西洋化を成し遂げた日本の中でも、北海道は明治以降に開拓された土地だったことから、当時の洋風建築ブームと相まって自治体の官舎や公共建築、銀行、海運会社などを中心に続々と建てられたようです。

 築後120〜130年というこれらの建物が現存している最も大きな理由は、戦争被害を免れたこと。とはいえ北海道に空襲や艦砲射撃がなかったわけではありません。特に、室蘭、釧路、根室といった軍需産業の中心地は甚大な被害を受け、軍需産業とは無縁の函館、小樽、帯広、旭川も攻撃を蒙り、2000人もの死者を出しましたが、東京や大阪のような都市壊滅状態には至らなかったようです。特に札幌は空襲を受けてもほとんど被害が無く、それが明治以来の区画や街並みを保つことに繋がったとのこと。

 札幌市の中心部を歩いていると、南1条とか北3条とか、まるで京都のような通りの名前が多いことに気が付きます。これは、1869(明治2)年に札幌本府の建設計画を命ぜられた開拓判官・島義勇が、京都を参考に街づくりを進めたことに由来し、南は1条から7条、北は1条から6条と、京都同様、碁盤の目のような区画になっています。また、火災の大規模な延焼を防ぐために、街の中央に設けた幅105mの大通りを設けています。これが現在の大通公園になっているそうです。

三大「がっかり」観光地?

 この大通公園敷地内の西端にある歴史的建築物が、札幌市資料館(旧札幌控訴院)。そして大通公園の南側にあるのが、ご存知札幌のシンボル、時計台と北海道庁旧本庁舎です。順々にご紹介しますね。

 旧札幌控訴院は1926(大正15)年創建、1997(平成9)年に国の登録有形文化財に指定されています。設計は当時の司法省会計課。戦後は札幌高等裁判所として使用され、1973(昭和48)年に現在の資料館として開館しました。外装に、今では希少な札幌軟石が使われています。札幌軟石は軽くて加工しやすい凝灰岩の一種で、凝灰岩の代表が大谷石。札幌軟石は大谷石よりキメが細かくて、硬度もあることから、開拓時代に盛んに使われたようです。

←上から北海道庁旧本庁舎と「さっぽろオータムフェスト」、豊平館、「北海道開拓の村」にある旧開拓使札幌本庁舎(レプリカ)

 続いて“日本三大がっかり名所”のひとつ、なんて不名誉な称号?をいただいているのが時計台。どうして“がっかり”なのかと言えば、北海道イコール大自然、その大自然の懐に抱かれた雄大な時計台っていうイメージで見に来ると、ビルの谷間にチョコンとある現実が、多くの人をがっかりさせるのだとか。私は期待もしていなかった分、ぜんぜんがっかりしなかったけど…。

 この時計台はもともと明治11(1878)年、札幌農学校(現北大)の演舞場として建てられたもので、4年後に屋根に時計と鐘が取り付けられて現在の姿に。その後120年以上もずっと風雪に耐えて時を刻み、鐘を鳴らし続けているんですよ。何が「がっかり」ですか? ちなみに北原白秋の童謡 『この道』の2番に出てくる「白い時計台」というのは、この時計台のことだとか。白秋が北海道旅行をした際の思い出をうたったというのが定説のようです。

 また、有名な石原裕次郎のヒット曲『恋の町札幌』では「時計台の下で逢って わたしの恋は はじまりました〜♪(浜口庫之助作詞)」なんて歌われてますけど、地元の人に言わせれば、観光地ではあっても決してデートスポットではないそうです。そりゃそうだわ。

 そして北海道庁旧本庁舎ですが、1888(明治21)年竣工、1969(昭和44)年重要文化財に指定されました。中央にドームのあるアメリカ風ネオ・バロック様式で設計は北海道庁土木課(平井晴二郎)。地元では「赤れんが」なんて呼ばれて親しまれています。至るところに赤い星のマークがあしらわれていますが、これは、当時の開拓使が北極星をイメージしてシンボルにしたものだとか。何かロマンを感じますよね。

 これまで紹介した3つの建築物はどれも見学可能で、道庁旧本庁舎には北海道立文書館、北海道博物館、赤れんがサテライト、樺太関係資料館、赤れんが北方領土館、国際交流・道産品展示室などがあり、内装の豪華さも見どころのひとつですよ。

北海道ならでは!食のイベント

 ちなみに取材当日、大通公園では道内からさまざまな飲食店が出店して料理の腕を競う「さっぽろオータムフェスト」が開催されていました。9月30日で終了しましたが、今年で10年目。何しろ1丁目から11丁目まで、数え切れないほどの店が立ち並ぶわけですから、さすが北海道。スケールが違います。思わず食べ比べしようかと思いましたが、この取材の後、コンサートを控えていたのでガマンガマン。お腹の出た体型でドレス姿なんて、お客様に失礼ですからね。

 そして最後にご紹介するのが、市街地から少し離れた閑静な緑地、中島公園内にある豊平館。明治13(1880)年竣工、現在の大通公園に建てられた日本初の完全な西洋式ホテルで、最初のお客様は明治天皇という由緒ある建物です。その後公会堂として使われ、戦後アメリカ軍が接収したあと、現在の場所に移築されたのが昭和33(1958)年。昭和39(1964)年には重要文化財に指定されています。現在は創建当時のウルトラマリンブルーに修復され、レンタルスペースとして使われており、結婚式もOKだとか。

 さて、“洋館の宝庫”なんて言っておいて、たった4つだけ?と思ったアナタ、ぜひ札幌郊外の「北海道開拓の村」へ足を運んで下さいね。54ヘクタールという広大な敷地の中に52棟の歴史的建造物が立ち並んでいます。一度入り込んだらタイムスリップすること間違い無し。内部もそのまま再現されていて、当時の人々をモデルにした人形がちょっと不気味ではありますが、当時の暮らしぶりがよくわかります。中には有島武郎が一時期暮らしていた邸宅なんかもあって、文学ファンも必見。夏には可愛い道産子(馬)が引っ張る馬車鉄道、冬には馬ソリにも乗れますよ。

そして運河が残った

 次は小樽の洋館・レトロ建築のお話です。内陸部にあって明治以降に開拓使によって発展した札幌とは違って、海に面した小樽は、江戸時代から松前藩の商い場として、北前船の寄港地として北海道の交通・物流の中心でした。その後は石炭やニシンを中心とした道産物の積出港として、さらには国際貿易港へと変貌し、日露戦争で得た南樺太の物資供給地としても大きな発展を遂げたのです。

 物流が盛んになれば、海から陸、陸から海へ物を運ぶための運河が作られ、運河の周辺には物を貯蔵する倉庫が作られます。労働力の増加や金融の活発化とともに、さまざまな産業も生まれます。小樽観光の中心となっている「堺町通り」や、北のウォール街と言われた一角は、人や物、お金で溢れていた小樽全盛期を今に伝える遺産でもあります。

          小樽運河での一コマと小樽運河クルーズの様子(動画)→

 そう。いまさら言うまでもありませんが、第二次大戦後、小樽は没落していったのです。発端はニシンの不漁、敗戦による樺太輸送の廃止、そこに基幹産業である石炭の衰退が輪をかけました。結果として、使いみちのなくなった倉庫、銀行のビルなどが残り、それが現在もっともお金を生む観光資源になっているわけですから、皮肉な話ではあります。結局倉庫はガラス工芸やオルゴール、土産物店、洋菓子店などの店舗となり、金融ビルは博物館やホテルへと変貌していったわけです。事情はどうあれ、貴重な建築物が数多く残ったのですから、それはそれで良しとしなければ…。

 では運河はどうなったのかと言えば、今はその機能を失ってはいますが、遊歩道や花壇が整備された小樽の“顔”として、観光客はもとより、市民の憩いの場所になっています。そして、かつてはいくつもの船が行き交ったこの運河と、周辺の倉庫群を一望できる観光クルーズも大盛況。もちろん、私も乗ってみました。

 運河クルーズは約40分のコース。現役の倉庫群やリニューアルしてレストランになった倉庫を眺めながらいくつか橋をくぐると、一旦方向転換して海に出ます。ああ、川風が心地よい。あれ? これって潮風? まぁどっちでもいいや。

←写真上から堺町通りの海産物や果物を売る店、政寿司のランチ

 小樽運河は海とつながっているため、真水と塩水が混ざり合う汽水区域。魚にとっては餌の豊富な場所なのだそうです。そんな話をすると釣り好きの方が目を光らせるそうですが、残念ながら運河での釣りは禁止(それでもこっそり釣り糸を垂れる輩が後を絶たないとか…)。

気がつけばシャチホコの街

 クルーズ中に目についたのが、建物の屋根にやたらとしゃちほこがあるということ。お城なんかだったら珍しくはないけど、倉庫の屋根までどうしてしゃちほこ? なんて考えていたら、舟を操るお兄さんが説明してくれました。しゃちほこの「しゃち」とは姿は魚で頭は虎という想像上の生き物で、建物が火事の際には水を噴き出して火を消すと信じられていたそうです。そう、これは火除のおまじない。小樽の倉庫や古い洋館は防寒・防火の意味もあっって殆どが石造りですが、それでも火事は怖かったのね。

 クルーズの後は、メインの堺町通りをブラブラ。今回のテーマである洋館やレトロ建築の多さとそれぞれの個性に驚かされますが(というより多すぎて紹介しきれません)、個人的にはメロンや海産物など、北海道らしいグルメと、オシャレなスイーツショップにどうしても目が行ってしまう…。しかも試食の嵐! この日は中国からのお客さんもたくさん見えていましたが、中国人の団体が来ると試食の皿が空っぽになるという話は本当だったのね。

 あ〜いけない! 少しずつでも、こんなに甘いものばかり何店舗もハシゴして試食したら、お腹がいっぱいになる! せっかく小樽に来たんだから、ランチはお寿司と決めていた私。混雑する12時前に『おたる政寿司』さんの支店『ぜん庵』にダッシュ!

 運良く、ほとんど待たずに入店。早速、北海道らしい地元ネタで占められたセットを注文しました。味はどうだったかって? それはご自身で確かめてくださいね。悪いはずがないじゃないですか。かつては大儲けした旦那衆で占められていた高級寿司店も、今は観光客の私たちを相手にしてくれるというわけで、それだけでも得した気分?
<第二章へ>