第一章:唐津はいい街だぁ♪

 季節ごとにテーマを決め、ゆったりしたスケジュールで古都を歩く。日本の原風景を求めて…。そんな旅こそ“アラカン世代”にふさわしいのではないだろうか。第19回目は、前々回に引き続き、アパレルブランド・パロレッタのプロデューサーとして、また先日のテレビ「カラオケバトル」では歌手として美声を披露したキュートな元宝塚歌劇団娘役・春花きららさんが案内する10月の佐賀・福岡。

知っているようで実は知らない

 すっかり秋めいてきましたねぇ。この季節、寒暖の差が激しいですよね。皆さん、お風邪などひいていませんか? 朝出かける時に何を着ようかって悩ましい時期。そんな時は是非パロレッタのサイト(クリック)をご参考に…って、いきなり宣伝から入っちゃってごめんなさい。春花きららです。

 今回は早朝出発の羽田発福岡便。朝5時起きですよ。眠いなんてもんじゃありません。ワタシ、低血圧なので朝がメチャクチャ苦手なんです。コーヒー片手に意識モーローのまま福岡に到着。でも、着いてみたら凄くいい天気。眠いなんていってる場合じゃないですよね。せっかく九州まで来たのだから楽しまないと。

 福岡に着いて朝一番に向かうとしたらどこでしょう? 博多ラーメンやもつ鍋にはまだ早いし、中洲の屋台は夜から。ヤフオクドームに行くほどホークスファンじゃないし、キャナルシティは魅力的だけど買い物は荷物が増える分、最終日に取っておきたいし…。

 となると、やっぱり太宰府天満宮でしょ。ワタシはそんなに信仰深いほうじゃないけど、それでも知ってる超有名な神社。でも、そもそも太宰府って何のことか、天満宮ってどんな神社なのか皆さん知ってました?

 福岡周辺を日本地図で見ると、対馬をはさんで朝鮮半島の釜山とは目と鼻の先、中国大陸にも近いことがわかります。そう、この地は古くから日本の外交・防衛の最重要拠点。「太宰」というのは正しくは「おほ みこともち」と読み、現代語で言えば地方行政長官といった意味なのだそうですが、大宝律令(701年)施行までは数カ所に存在していたものが、以降は九州の筑前国だけになったとか。別名「遠の朝廷(とおのみかど)」。それだけ重要な土地だったということなんでしょうね。

        上から色鮮やかな彫刻が目をひく太宰府天満宮楼門と、御本殿→

 でもって天満宮ですが、これは「東風(こち)吹かば〜」で有名な菅原道真公を祀った神社。◯◯天神という呼び方もあって東京の湯島や亀戸にもありますよね。では、その菅原道真って何をした人?って聞かれると、意外に知らない人が多いようです(かく言うワタシも知りませんでした…)。

 詳しくはこちらのページ(クリック)を読んでいただくとして、いろんな顔を持った人なんですねぇ。平安時代の貴族で卓越した学者、漢詩人というのが一つの顔。そして宇多天皇の信任を得て、藤原氏の専横化が問題となっていた摂関政治を改革した優秀な政治家というのがもう一つの顔。しかし、その結果対立する一派の讒言によって太宰府に左遷させられた“悲劇の人”でもあるんですよ。後世への影響としては、遣唐使を廃止することによって、それまで中国の模倣文化だった日本文化が、独自の「やまと文化」へと変わっていくきっかけを作った人。なんだか凄い人ですよね。今までの説明は全部受け売りだけど…。

 享年59歳、太宰府で志半ばに斃れた道真ですが、その後都では不吉な事が相次いだため、その祟りを鎮めるために建立されたのが京都の北野天満宮。それでも祟りが収まらないということで、終焉の地・大宰府にも安楽寺天満宮が建てられ、これが現在の太宰府天満宮のルーツなのだそうです。道真が生前、学芸に優れていたことから、やがて天満宮は「学問の神様」になって、今では「受験の神様」になってますよね。本来は「怒りを鎮めて安らかにお眠りください」っていう意味で祀られたのに、いつの間にやら「お願いだから合格させて」なんて縁もゆかりもない人がたくさん来るのだから日本人ってチャッカリしてますよね。ワタシも含めて…。

 道真が愛した「梅」と「牛」が神社のシンボルになっているのも御存知のとおり。太宰府天満宮にもたくさん梅の木が植えられていて、春先はきっと見事なんでしょうね。願いを込めて牛さんもめっちゃナデナデして来たので、今回の旅、天満宮“モ~で”で、幸先のいいスタート。

男性にとっての理想像?

 福岡には最終日に寄ることにして、そのまま一路、佐賀県唐津市へ。ここに絶景ポイントがあるというので、太宰府から車で約90分、曲がりくねった坂道を登って、やってきました鏡山山頂。

 駐車場から少し歩くと、まず池があって爽やかな森へ。そこを抜けると展望台が見えてきます。期待に胸膨らませて展望台に上ると、思わず息を呑む絶景。そして時々息が止まりそうな?強風も。眼下には日本三大松原のひとつ、虹の松原が広がり、その向こうには真っ青な唐津湾と高島、鳥島などたくさんの島々が見渡せます。

←鏡山山頂にある松浦佐用姫の銅像

 これだけ素晴らしい景色は、一生のうちでもなかなか見れるもんじゃないですよ。どうしてもっと有名じゃないのかなぁ。そもそも佐賀って九州の中でもマイナーなイメージがありますよね。魅力度ランキングでも47都道府県の中で41位だし。でも、今回の旅でワタシ、すっかり佐賀びいきになったんですよ。特に唐津はホントにいい町。その理由についてこれからどんどんレポートしていきますね。

 ところで、展望台のすぐ近くにお姫様風の銅像があったんですけど、こりゃ何じゃ? と思って近づいてみれば「佐用姫像」の文字。説明文を読むと、537年、新羅出征のために唐津に来た大伴狭手彦(おおとものさてひこ)と恋に落ちた松浦(まつら)家の娘、佐用姫(さよひめ)がこの山から彼氏の出征を見送ったのだけれど、淋しさに絶えきれず呼子まで行った後、加部島で七日七晩泣きはらし、その後石になってしまったという伝説。恋人を思って後を追ったり、泣いて暮らすまではわかるんだけど、ど〜して石になっちゃうの? と、最後の最後に非現実的になる部分がイマイチ理解できないワタシ。

 でも、類似した伝説は全国各地にあって、佐用姫は弁財天のモデルとも言われているそうです。やっぱり世の男性は、こういう貞淑で一途でいつまでも帰りを待っていてくれるような女性が好きなのね。そんな女性、なかなかいないと思うけどなぁ…。

長いものには巻かれたくない…

 お昼まで少し時間があったので、近くの観光スポットをネットで探したら、すぐ近くに「ポンポコ村ベゴニアガーデン」なるものを発見。季節的に花が少ない時期なので、撮影にはちょうどいいかと思い、立ち寄ることに。

 山を下る道を少し逸れていくと、すぐにちょっとくたびれた感じのビニールハウスが見えてきます。どうやらここらしい…。車を降りてポンポコ村の看板を発見。営業してるのかな? 一瞬、引き返そうかと思うような地味さ。それにしてもポンポコ村ってどういうネーミングセンス?

 村長?らしき男性に入り口で入場料を払い「ど〜してポンポコ村なの?」と早速質問。すると「あとで説明します」とそっけない返事。そのまま貸切状態で案内していただくことに。

 ハウスの中はベゴニアというか、たぶんベゴニアなんだろうな〜という植物たちでいっぱい。でも、花はあまり咲いていない…。「ちょうど今の季節が一番花が少ないんですよ」と村長。それでもここには1200種を超える世界中のベゴニアがあるんだとか。

 とにかくこれもベゴニア? あれもベゴニア? っていうくらい葉の形も大きさも個性豊か。Wikiによると「葉の形が左右非対称でややゆがんだ形であること、花は雌雄別であり雄花は4枚、雌花は5枚の花びらをもつ」というのが共通の特徴なのだとか。そう言われてもピンとこないけど…。名前の由来はフランス人のミシェル・ベゴンさんが発見したからだそうです。

 一般に私たちが知っているベゴニアは「ベゴニア・センパフローレンス」という品種で、直射日光にも耐えられるもの。原種はもともと亜熱帯のジャングルに生息しているので、日向は苦手みたい。“ベゴニア博士”の村長はジャングルを忠実に再現した部屋まで作るマニアックぶり。「でも、こんなにたくさん集めて育てていたらお金もかかりますよね」と言ったら「今はネットで苗を販売しているので、結構世界中から注文が来るんですよ。ここにはつい最近発見されたばかりの新種や、世界でも珍しい品種がありますから」とちょっぴり自慢げ。

 と、一通りの説明が終わったのでいよいよ核心へ。「ところでポンポコ村っていうのは…」「ああ、以前はみかん農家をやってまして、その敷地にタヌキの一家が住んでいたもので…」

 なるほど。いかにもありそうな理由ね…。ということで帰ろうと思ったら、「こちらに面白いものがありますんで」と村長。着いていくと何やら水槽が並ぶ怪しげな雰囲気。水槽の中をよく見たらビックリ! 凄く色鮮やかなカエルのフィギュアが…。 あれ? もしかしたら本物? 「エサをあげると動きますよ」と村長。やおら小さな虫の入った瓶を取り出すと、唐揚げを揚げるみたいに虫を粉にまぶして、水槽の中に。

 すると、今まで置物のように動かなかったカエルさんたちがチョコチョコと動き出し、長い舌で虫を高速キャッチ。カエル好きでペットとして飼っている友人にあとで聞いたら、エサは品種改良されて飛ばなくなったコバエで、粉は栄養を補給するためのものだそうです。カラフルなカエルさんたちの食事風景は、何だか気持ち悪いけど可愛い。

 すると今度は村長が別の水槽から何やら長いものを取り出してきます。よくよく見るとぎゃ〜〜〜〜〜〜! ヘビだぁ〜〜〜〜〜! 「これはね、ニシキヘビの一種でポールパイソンっていうんですよ。おとなしい奴なので持ってみます?」と村長。こちらが「え、え、遠慮しときますぅ」と言う前に手渡されちゃって、心の準備ができないうちに人生初の“ヘビ持ち”。「チョロチョロ舌が出てるでしょ。これで温度を感知して餌かどうかを判断するんです。だから、冷凍のマウスを上げるときにはわざわざ湯煎してからあげるんですよ」と愛おしそうな目で話す村長。でも村長、そのチョロチョロが手に当たるんですけど…。それにワタシの手も餌のように暖かいと思うんですけど…。

 でも、ヘビって思ったよりモチモチしていて、意外に暖かくて感触は悪くない。ポールパイソンというのはヘビの中でも特に臆病で、普段は体を巻いていることが多いので「ボール」という名がついたとか。ああ、おとなしいヘビで良かった。巻きつかれて締められたらトラウマになるところでした。

 他にもウーパールーパーとかカメとかヘラクレスカブトムシとか、たぶん村長さんの興味が、ベゴニア好き→ジャングル好き→そこに暮らす動物好き、という風に進化?していったと思われるのですが、出口の近くに「デグー」という小動物がたくさん飼われているのを見つけたときには、むしろ「普通に動物好き」というのがわかりました。この「デグー」ちゃん、手に乗せたりすることもできてめっちゃ可愛いんですよ。

 最後はどこかの猫(首輪がついていたらしい)が迷い込んできたのでそのまま飼っているという村のアイドル「ランちゃん」(本人は嫌そうでしたが、猫なのに一応「お手」もできます)に見送られて、面白すぎるぽんぽこ村を後に。皆さん、もし唐津に来られる機会があったら、ここを見逃しちゃだめですよ。

能舞台を独り占め!

 ポンポコ村の強烈なインパクトにすっかり朝の眠気を忘れたワタシ、九州に来たらこれだけは外せないと思っていた本場「九州ラーメン」を食べることに。選んだのは以前からリサーチしておいた唐津市内の人気店「らぁ麺むらまさ」。

 九州ラーメンというとどうしても「豚骨」のイメージですが、こちらは鶏と焼きアゴで出汁をとった、澄んでいて、それでいてコクの有るスープ。この日いただいたのは塩ラーメンですが、麺を蕎麦やうどんにしてもそのまま美味しく食べられそうな純和風の味。疲れていて胃がもたれそうな時でもペロリといけそうです。ごちそうさま!

←上から「らぁ麺むらまさ」、旧唐津銀行本店、旧高取邸、唐津市埋門ノ館の能舞台

 お腹も満足したところでいよいよ唐津市街へ。唐津は佐賀を代表する観光地のひとつで、その歴史は古く、魏志倭人伝に登場する末盧国(まつらこく)というのがルーツで、その後肥前国松浦(まつら)郡という地名に。戦国時代までは地方豪族・松浦党の支配下にありましたが、秀吉の全国統一後は朝鮮出兵の拠点として名護屋城が築かれ、1593(文禄2)年には寺沢広高を領主とする唐津藩が誕生します。

 広高は関ヶ原の合戦後12万3千石の大名となり、唐津城を築城。唐津はそれ以降、広高の子・堅高が自害するなど不幸にも見舞われましたが、次々と領主が変わりながらも、唐津焼などの地場産業を発展させました。明治以降は唐津炭田の輸出港として、戦後は発電所が建設されて九州の電力供給の要になるなど、現在に至るまで順調な発展を遂げています。

 そんな唐津の石炭産業全盛期を偲ばせるひとつが「旧唐津銀行本店」。設計は東京駅の設計者として有名な辰野金吾の愛弟子、田中実。実は辰野は唐津の出身で、唐津銀行は藩校の同級生だった創業者・大島小太郎から依頼された仕事だったのですが、辰野は東京駅の仕事でどうしても手を離せず、やむなく弟子に任せたようです。でも、出来上がった赤レンガ調タイルの建物は、ファンならばひと目でわかる辰野作品。

 そしてもうひとつが、かつて炭鉱王と呼ばれて巨万の富を築いた高取伊好(たかとりこれよし)の邸宅(旧高取邸)。約2,300坪の広大な敷地に2棟の建物が現存しています。このお屋敷、案内がなければどこを歩いているかわからないぐらい広いんですよ。しかも個人宅なのに能舞台まであって、各部屋にはそれぞれ立派な床の間と見事な欄間彫刻、京都四条派の絵師、水野香圃がこの屋敷に滞在しながら直接描いたという29種類72枚の杉戸絵もあって、あまりの豪華さ、美しさに、出るのはため息ばかり…。

 このお屋敷の近くには唐津市埋門ノ館という立派な市民会館もあります。ここには、高取邸では足を踏み入れることもできなかった本物の能舞台があったので、今がチャンスと舞台を独占。やったこともない能のポーズを取ったりして…。職員の方に「ここでいつも能が開催されているんですか?」って聞いたら「お呼びするにも予算がないのでなかなか…」というご返事。でも、能舞台がある市民会館なんて珍しいですよね。唐津市民の文化度の高さがうかがえます。

祇園祭が形を変えて…

 さらに、唐津と言えばやはり「唐津くんち」。唐津神社の秋季例大祭ですが、今やユネスコの無形文化遺産でもあります。その目玉は豪華絢爛な曳山。唐津くんちは毎年11月2日~4日に行われ、初日が「宵曳山」、2日目が「御旅所神幸」、最終日が「町廻り」。この3日間は毎年50万人もの人出になるそうです。その曳山14台を一堂に展示しているのが、市街地の中心部にある曳山展示場です。この日は観光パンフなどによく登場する真っ赤な「魚屋町の鯛」だけがありませんでしたが、他の13台はじっくり見学することができました。

 曳山は「粘土の原型や木型の上に和紙を数百回貼り重ねたあと型をはずし、麻布を貼り、漆を数十回塗り重ね、最後に金銀を施して仕上げる」という手の込んだ職人技で作られ、大きさは高さ約7m、重さは2~5トン、漆は25年に1度塗り替えられるそうです。作られたのは江戸〜明治の初め頃ですが、その制作費を今のお金に換算すれば億を超えるとか。まさに“動く美術品”ですよね。

 曳山のルーツは、1819(文政2)年、石崎嘉兵衛という木彫り職人が、お伊勢参りの帰りに京都で見た祇園祭の山鉾に感動し、仲間たちと獅子の頭を作って唐津神社に奉納したのが始まりだそうです。京都のお祭りがはるばる九州の佐賀で形を変え、新たな伝統行事として続いているなんて、感慨深いですよね。前々回の「古都逍遥」で本物の祇園祭を見に行ったワタシ、ここまで来たからにはどんなふうに曳山を動かすのか見てみたいなぁ、なんて思っていたら、実はちょっとだけ見ることができたんですよ。その話は次章で…。

       上から曳山展示場、ライトアップされた唐津城、寿し幸の地魚料理→

 唐津の市街地には、今回ご紹介できなかった唐津神社や、在りし日の町並みを偲ばせる石垣の道や旧商家通り、唐津焼の窯元など見どころは沢山あるのですが、今回は時間の都合もあってほんの一部しか紹介できませんでした。唐津出身の皆様、ごめんなさい。

 この日のお宿は川沿いにあって大浴場も完備の、唐津第一ホテルリベール。部屋の窓から外を見ると、唐津城の天守がバッチリ。スケジュールが詰まっていたので天守まで登っていけなかったけど、唐津城は唐津湾に突き出た満島山にそびえているので、別名海城とも舞鶴城ともいわれ、遠くから見るとまるで海に浮かんでるみたい。但し、実際には天守は存在しなかったらしいので、現在ある天守は慶長期の様式を摸して昭和41(1966)年に建てられたもので、こういった天守を“模擬天守”と呼ぶのだそうです。現実にはなかったとしても、景色としてはカッコいいからワタシ的にはむしろ今のままでOK。

 そして待望の夕食はホテル近くのお寿司屋さん「寿し幸」さんへ。家族経営のアットホームなお店。広々としたお座敷に通されてちょっと恐縮。さて、玄界灘のお魚はどんな味かな? 予算5000円のおまかせで頼んだら、次から次へとまぁ出てくるわ出てくるわ。お刺身にカルパッチョに茶碗蒸しに煮魚に天ぷらに焼き魚にデザートに…あ〜、わかんなくなる程の品数。もちろん、握りも食べましたよ。料理は美味しいし、中居さんの女の子は純朴で可愛いし、う〜ん、唐津はホントにいい街だぁ♪
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