第三章:ブサイクな魚たち♥

伝説の名将・立花宗茂

 柳川に到着したのが午後4時頃。一泊の予定なのでもう少し遅い時間でも良かったのですが、急いで来たのは前章でも触れたように明日が雨という予報と、泊まるのが柳川でも最高級の旅館「柳川藩主立花邸 御花」だったから。だって、少しでも滞在時間を使わないと勿体無いじゃないですか。もともと柳川藩主の、明治以降は華族のお屋敷ですよ。世が世であれば、敷地内に足を踏み入れることさえできなかったであろう建物とお庭。

←上から「柳川藩主立花邸 御花」(動画)と庭園全景、敷地内の西洋館

 松島の景観を模したといわれる庭園「松濤園(しょうとうえん)」は、東側のお庭も含めて国の名勝に指定されています。脇を流れる水路はかつての柳川城のお堀。池はこの堀から水を引いています。明治時代に14代当主立花寛治によって建てられた敷地内の西洋館2階から庭を眺めると、水路を行き来う川下りの船を見ることができます(結局、翌日雨だったので、この柳川川下りは体験できませんでした。残念)。

 筑後柳川藩の初代藩主として、勇猛な戦国武将としても有名な立花宗茂は、大河ドラマで取り上げられてもおかしくない程、波乱万丈の人生を歩んだ人物。大友氏の家臣としてスタートし、数々の戦果を秀吉に認められて柳川13万2000石を拝領。「その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一」と、秀吉から絶賛されました。

 その後、朝鮮出兵にも参加。第二次蔚山城の戦いでは、孤立して窮地に陥った加藤清正軍を救うため、わずか1,000の兵を率いて奇襲を決行。明軍の先陣5,000人を撃退。清正をして「日本軍第一の勇将」と言わしめたとか。しかし、関ヶ原の戦いでは秀吉への恩義を理由に西軍につき、敗戦後も一時は柳川で徹底抗戦の構えを見せますが、その人物を惜しむ鍋島、黒田、加藤といった大名に説得され開城。

 一時は浪人生活を余儀なくされた宗茂でしたが、宗茂の評判を聞いていた徳川家康から御書院番頭として5,000石、さらに秀忠の御伽衆に列せられて陸奥棚倉に1万石を与えられ、晴れて大名として復活することになります。徳川家の臣下となった宗茂は大阪の陣でも大活躍。 元和6(1620)年には旧領の筑後柳川10万9,200石を与えられ、見事、完全復活を果たしました。

 普通なら考えられないような厚遇でかつての敵に迎えられたのは、宗茂の武将としての勇猛さばかりではなく、教養人としても超一流であり、何よりもその高潔な人格が愛され、信頼されたからではないでしょうか。身長も当時としては珍しい180cmの長身で、見た目からも「武士の中の武士」という当時の評価がピッタリ。この人、やっぱり大河ドラマで取り上げて欲しいな、まさに戦国スーパーマンじゃないですか。

伯爵令嬢が旅館の女将に

 その宗茂の時代から現在に至るまで約400年、明治以降は華族として華やかな生活を保障されていた立花家でしたが、太平洋戦争後の華族制度廃止で窮地に追い込まれます。伯爵令嬢だった立花文子が夫の和雄とともに柳川の屋敷を料理旅館として開業した経緯は先日NHKの番組でも紹介されました。「何とかなるわよ」と激動の戦後を持ち前の明るさとバイタリティーで乗り切ってみせた文子の波乱の人生もまた、朝ドラにピッタリじゃないかなぁ。よかったらどっちも検討してくださいな、NHKさん。あっ、ちょっと偉そうでしたね。ごめんなさい。

 でも、こちらの旅館、建物もお庭も素晴らしいの一言なんですけど、お部屋もリニューアルしたばかりの洋室が特に素敵なんですよ。バルコニーからはお庭が一望できるし、大きなお風呂がないのはちょっと残念だけど、宿泊客なら近くのかんぽの宿で温泉も利用できます。夕食も味わってみたかったけど、ちょっとワタシには敷居が高そうだったので、この日は徒歩2分の距離にある「夜明茶屋」さんを予約。

食卓でエイリアンに遭遇!

                   柳川「夜明茶屋」での一コマ(動画)→

 「夜明茶屋」って変わった店名だなと思ったら、やっぱり理由があったんですね。平野キヨさんという方が、当時としては珍しい女性経営者として明治23年に鮮魚店を創業。その後網元になったキヨさん。お店のHPによれば「夜明けと同時に出漁する漁師さんに、漁の安全と大漁を願って、お茶と称したお酒を振る舞っていたところ、いつの頃からか平野商店は漁師さんの間で夜明茶屋と呼ばれるように…」

 お店にはたくさんの生け簀があって、有明海の海の幸が所狭しと並べられています。居酒屋と魚屋さんとお土産物店が一緒になったような感じで、魚も従業員さんも元気いっぱい。今回オーダーしたのは、有明海の珍味が少しずつ味わえるという「有明海(得)御膳セット」3,000円。内容はクチゾコ煮付け、ワケノシンノスの味噌煮、生クラゲの酢味噌和え、エツ南蛮漬、海茸粕漬、干し海茸の炙り、マジャク唐揚げ、むつごろう甘露煮、有明海の魚介類の刺身盛、ご飯、ガネ漬、味噌汁…ということですが、う〜ん、聞いたこと無い魚ばかりだぞ。

 ほどなく運ばれてきた御膳は凄いボリューム。何より有明海の魚介類の刺身盛というのがバクハツ的インパクト! ピクピク動くムツゴロウの活造りはすぐにわかったのですが、もうひとつの魚?はむき出しの歯といい、死んだような目といい、全体の形といい、どうみてもホラー映画に出てくる怪物にしか見えない。

 「これはワラスポっていうんですよ」と従業員さん。「映画のエイリアンにそっくりなんでうちで商標登録したんですけどね」。なるほど、言われてみればエイリアンにそっくり。しかも時折牙?をむいて動き出すし…。ちょっと勇気がいったけど、恐る恐る箸をつけてみると、あれれ、身がコリコリして意外に美味しい。ついでにムツゴロウもいただいてみると、これも臭みがなくて淡白な味。九州の甘いお醤油と相性バッチリ。

 従業員さんの代わりにメニューの解説をしますと、クチゾコは舌平目のこと。ムニエルなんかで有名な高級魚ですよね。ワケノシンノス(若者のお尻の穴という意味だそうです…妙にリアルな表現だなぁ)はイソギンチャクの一種、エツは漢字で書くと刀形魚。文字通り刀のような形をしたお魚、マジャクは正式にはアナジャコといって穴を掘って潜る習性のあるシャコ。ガネは九州の方言でカニのこと。こちらのガネ漬で使っているのは、片方のハサミだけ大きいことでおなじみのシオマネキ。

 いやぁ、初めて食べたものばかりなのに、あれも美味しいこれも美味しいと大感激。当然お酒もすすみます。地酒がまた美味しいんだな、これが。調子に乗って水槽の中で元気に泳ぎ回っていた若いトラフグをオーダーしちゃいました。もちろんてっさ(刺し身)で。随分奮発したなぁとお思いの方、心配ご無用。びっくりするほどお安いんですよ。夢のようなてっさ五枚一気食いの様子は動画で見て下さいね。

 お勘定を済ませる時に従業員さん「ウチの魚はみんなブサイクだけど、味はいいでしょ?」。まったくその通り。人間と同じで外見より中身。でも実際に「アナタ、ブサイクだけど人はいいよね」って言われたらショックかも。

水に浮いた灰色の柩

←写真上から柳川のお堀端と店頭POPのムツゴロウ

 ゴージャスなお部屋ののゴージャスなベッドで目覚めると、翌朝は雨、というより結構な大雨。雨に濡れたお庭もなかなかいいなぁ、なんて呑気に言ってる場合じゃありません。この日予定していた川下りはキャンセル、福岡市内のレポートもできるかどうか…。

 とはいえ、いつまでも旅館にいるわけにはいかないので、これまたゴージャスな朝食(この時すぐ後ろの席で憧れの某女優さんが! 偶然とはいえラッキーでした)を済ませたあと、傘をお借りして柳川市街を散策。ほどなく風情のあるお堀端に出ると、柳の並木がきれい。柳に川で柳川かぁ、なんて妙に納得しながらさらに歩いて行くと、傘の色に合わせたような青いムツゴロウくんに遭遇。「昨日は残酷な食べ方をしちゃってごめんね」なんて形だけ謝ったワタシ、ふと気がつけばその真向かいにナマコ壁、蔵造りの立派な建物が…。

 もしかして酒屋さん? そう、酒屋さんには違いないのですが、この建物こそ柳川が生んだ偉大な文豪、北原白秋の生家なのです。

 北原白秋は明治18(1885)年、この地に生まれました。北原家はもともと九州一円にひろく知られた海産物問屋で、白秋の祖父の代から酒造りを始めたそうです。白秋は「わが生ひたち」という作品の中で生家をこんな風に表現しています。「世間ではこの旧家を屋号通りに「油屋」と呼び、或は「古問屋ふるどんや」と称へた。実際私の生家は此六騎街中の一二の家柄であるばかりでなく、酒造家としても最も石數高く、魚類の問屋としては九州地方の老舖として夙(つと)に知られてゐたのである。從て浜に出ると平戸(ひらど)、五島、薩摩、天草、長崎等の船が無塩、塩魚、鯨、南瓜ボウブラ、西瓜、たまには鵞鳥、七面鳥の類まで積んで来て、絶えず取引してゐたものだつた。(中略)私はかういふ雰圍氣の中で何時も可なり贅澤な氣分のもとに所謂油屋の Tonka John として安らかに生ひ立つたのである」(Tonka Johnとは、柳川の方言で大きい方の坊っちゃんといった意味)

         写真上から北原白秋の生家と内部、北原白秋記念館の内部→

 また故郷柳川については「柳河は水郷である。さうして靜かな廢市の一つである。自然の風物は如何にも南國的であるが、既に柳河の街を貫通する數知れぬ溝渠(ほりわり)のにほひには日に日に廢れゆく舊い封建時代の白壁が今なほ懷かしい影を映す」と記しています。ああ、凄い名文。続いて「歩むにつれて、その水面の隨所に、菱の葉、蓮、眞菰、河骨、或は赤褐黄緑その他樣々の浮藻の強烈な更紗模樣のなかに微かに淡紫のウオタアヒヤシンスの花を見出すであらう。水は清らかに流れて廢市に入り、廢れはてた Noskai 屋(遊女屋)の人もなき厨の下を流れ、洗濯女の白い洒布に注ぎ、水門に堰かれては、三味線の音の緩む晝すぎを小料理屋の黒いダアリヤの花に歎き、酒造る水となり、汲水くみづ場に立つ湯上りの素肌しなやかな肺病娘の唇を嗽ぎ、氣の弱い鵞の毛に擾され、さうして夜は觀音講のなつかしい提燈の灯をちらつかせながら、樋ゐびを隔てゝ海近き沖おきノ端はたの鹹川しほかわに落ちてゆく、靜かな幾多の溝渠はかうして昔のまゝの白壁に寂しく光り、たまたま芝居見の水路となり、蛇を奔らせ、變化多き少年の秘密を育む。水郷柳河はさながら水に浮いた灰色の柩である」

 白秋が子供の頃には、かつて立花氏の所領として隆盛を誇った柳川も城下町としての役割を終え、町のシンボル・柳河城もすでに火災で焼け落ちていました。文明開化の波にも取り残され“静かな廃市”という表現がぴったりくる雰囲気だったようです。でも、そんな環境だったからこそ、後に数々の名作を生む白秋独特の叙情性が育まれたのかもしれませんね。

←写真上から博多・川端通商店街に展示されている博多祇園山笠の飾り山、元祖ラーメン長浜家

 生家に併設された記念館では、白秋の一生と時代背景、柳川の文化をたどることができます。それにしても白秋という人、変幻自在というか万能の詩人というか、この日のような雨をうたった童謡でも「あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」(あめふり)といった無邪気で陽気なのもあれば「雨がふります 雨がふる 遊びにゆきたし 傘はなし 紅緒(べにお)の木履(かっこ)も緒(お)が切れた」(雨)というように童謡らしからぬペシミスティックな作風も。

やっぱり〆はラーメン?

 さて、そうこうしているうちに雨足はますます強くなり、いろいろと心残りはあったものの水郷・柳川をあとにして、一路、福岡市内へ。こんなに大降りにならなければいろいろ取材候補はあったのですが、今回はすべて断念。街歩きをするにもずぶ濡れになりそうなので、福岡を代表する長〜いアーケード街、川端通商店街に“一時避難”。

 博多の古い町並みは殆どが空襲で焼失してしまったそうですが、こちらの商店街、いかにもかつての博多の下町って感じでいい雰囲気。キャナルシティやマリノアシティのような最新のスポットも魅力的だけど、博多っ子の匂いがする場所をもう少し探してみたいなぁ、なんて思っていたら、見つけましたよ。博多祇園山笠の飾り山。噂には聞いていましたが、こんなに大きいとは…。

 飾り山が展示されているのは、「川端ぜんざい広場」というコーナー。ぜんざい店は金・土・日・祝日(連休の場合のみ)と祭事期間中に営業するそうです。ここまで来たからには食べてみたかったなぁ、残念。ちなみにこの飾り山、こちらと櫛田神社に常設展示される以外は、一年ごとに取り壊され、テーマを変えて新しく作られるそうです。

 雨がやみそうにないので、この日のランチはこの商店街で。選んだのは、店外まで豚骨の匂いが漂う、これぞ屋台ラーメンという感じの「元祖ラーメン長浜家 」さん。券売機でチケットを買って店内に入ると、博多弁ならぬ片言の日本語で「イラッシャイマセ〜」。店員さんは外国人の方でした。オーダーはもちろん、麺はバリカタ、ネギ多め。ついでにゴマと紅しょうがも大盛りで。シンプル・イズ・ベストなこちらのラーメン、旅のシメにはぴったりかも。それにしても行きたかったなぁ、本物の屋台とモツ鍋、水炊きに餃子も食べたかった〜。でも、楽しみは次回に取っておくとして、今回の九州取材、見るもの聞くもの新しいことばかりで、本当に日本再発見の旅でした。狭いようで広い日本列島、まだまだ知らないことばかり。次回もぜひお楽しみに!(おわり)