第三章〜封印されたタイムカプセル

純白と静寂

 2日目の朝は朝風呂と豪華な朝食で迎えた。豪華と言っても実際は温泉旅館の一般的な朝食なのだろうが、独身生活の長い私にとって、3品以上のおかずがあれば豪華なのである。加えて会津は米も美味い。必然的に食が進む。糖尿病患者である私にはカロリー制限があるのだが、旅行の際には気にしないようにしている。旅とは非日常的な体験である。非日常に日常を持ち込むのは無粋というものだ。

 2日目の移動もジャンボタクシーである。本日最初の予定は大内宿。明治初期に、かのイザベラ・バード女史も宿泊した南会津の宿場町。タイムカプセルのように残された街並みは、まさに日本の原風景。雪景色はさらに美しいだろう。

 到着したのは朝の9時。予想通り誰もいない。一面純白の雪。その美しさに思わずこぼれた溜息が白く光る。険しい山道を越えて来た古(いにしえ)の旅人たちは、この風景を見て心からやすらぎを得たであろう。全長約450mの往還、その両側に清流の音。茅葺きの屋根は雪に覆われ、軒下に長いつららが下がる。整然と並ぶ寄棟造の民家は過不足無く簡潔。これ以上に無駄が無く、清潔な風景があろうか。

 おぼつかない足元で滑りやすい斜面を登る。子安観音堂付近から宿場の全体を俯瞰するためである。戊辰戦争では戦場になり、焼き打ちの危機こそあったものの(名主の努力で回避された)、この地が奇跡的に残されたのは文化財として認められていたからではない。そもそも半農半宿であったのがその理由である。明治になって街道から外れ、宿場町としての機能が失われても、農村としてかろうじて残ったのである。

 それでも近代化の波は避けられず、昭和40年代以降は電気も水道も引かれ、トタン屋根の平凡な農村へと姿を変えつつあったのだが、昭和56(1981)年に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されたのを契機に、茅葺きを復元させたり、電柱を移設したりして、徐々に昔の姿を取り戻していった。平成になって知られざる名所として注目されるようになると、会津鉄道の直通運転や磐越自動車道の開通をバネに、年間100万人を超える一大観光地に変貌していったのである。

 子安観音堂の高台から街を眺める。純白と静寂…。あと30分もすれば、土産物店や蕎麦屋が雨戸を開け、観光バスが次々と訪れ、団体客の嬌声が上がるだろう。この絶景は、この季節のこの時間のみに与えられる贅沢なのだ。願わくばこの姿を10年後、100年後も保ち続けて欲しいものだ。

心底暖まる駅だニャン

写真上から大内宿のスナップ、湯野上温泉駅の足湯と地元の皆さん、湯野上温泉駅舎の囲炉裏、ねこ駅長と麗しいお姉さん、末廣酒造嘉永蔵、上から松平容保、徳川慶喜、野口英世の書額、末廣酒造の試飲コーナー→

 続いて我らがジャンボタクシーは会津鉄道湯野上温泉駅へ。こちらは全国でも珍しい茅葺きの駅舎で、暖かい囲炉裏にねこ駅長までいるという観光パワー全開の駅である。当然“撮り鉄”のターゲットでもある。残念ながら私は鉄道には興味がないので、もっぱら囲炉裏で暖を取る。

 ねこ駅長の写真を撮りませんかと誘われ、しぶしぶ外に出たら、駅舎のすぐ脇にある足湯で、地元の方をモデルにして撮影会をやっている。「湯野上のPRお願いします」と、素朴な瞳で訴えられては撮らないわけにはいかない。どうせならモデルは若い女性の方がイメージは良かったのではないかなどと思いながらシャッターを押していたら、今度は「ねこ駅長の写真もどうぞ」との声。

 ねこ駅長は窓越しの撮影。寝起きで少しご機嫌斜めだ。ねこ駅長の秘書というか世話係というか、たぶん会津鉄道の方だと思うが、色白・美形のお姉さんがブラッシングしたりして駅長の機嫌を取ってくれている。何度かシャッターを押しているうちに、気がついたら駅長よりお姉さんの方にピントが合っている。「このお姉さんで足湯のほうが絵柄的には良かったのではないか…」ああ、また馬鹿なことを考えてしまった。これではイカン、と反省していたら、駅長は駅舎の巡回というか散歩というか、要するに猫の日常行動に走ってしまったので、撮影終了。余談だがこの駅舎でいただいた甘酒は自家製の本物。それで100円というのだから驚きだ。駅に来る機会があったら是非。“撮り鉄”の方には桜や紅葉の季節がお勧め。温泉好き、猫好きの方ならいつでも。

酒は文化なり

 モッタリマッタリした時間を過ごした後、ジャンボタクシーは一路、若松市内へ。目指すは老舗の酒蔵、末廣酒造である。創業は嘉永3年(1850)。嘉永と言えば会津受難の幕末である。創業の18年後には会津戦争があったわけだから、当時はいろいろと大変だっただろう。しかし、明治時代になって杜氏による酒造りを福島県で初めて実現、大正期には「山廃造り」を始めたということなので、時代に沿って近代化を進めたと推察される。

 味わいのある建物はその名も「嘉永蔵」。高い吹き抜けが印象的だ。そのせいか足元からジワジワ冷える。こちらはたまたま来て見学するだけだが、ここで働いている人は寒いだろう。以前、日本酒の本を2冊ほど編集したことがあり、その際に蔵元を数件取材したので、酒造りの工程や用語はだいたい理解できるのだが、話を聞く以前に、とにかく寒い。凄く丁寧に説明していただけるのはありがたいのだが、時間が経てば経つほど余計に寒くなる。ああ、早く試飲したい…。

 そんな不埒なことを考えつつ(私だけだろうが)、見学者一行は仕込み蔵を抜ける。案内されるままに古い座敷に通されると、そこはお宝の山だった。松平容保、徳川慶喜、野口英世の書額をいっぺんに見ることができるなんて、まるで博物館だ。さすがNIKKEI プラス1 で「訪ねて楽しい日本酒の蔵元」第一位に輝いただけのことはある。この座敷以外にも、この蔵にはコンサートホールやクラシックカメラの博物館まであるのだ。それぞれの関係性はさておき、酒蔵というのはひとつの文化であると確信。

 座敷を抜けると、いよいよ試飲タイム♪ と思ったら、試飲コーナーで同行のマスコミ陣が「震災の影響」なんぞを熱心に取材し始めた。みんな真面目だニャー(さっきの駅舎の余韻からか、ついつい猫語になってしまう)。これでは「端から順に飲んでみたいニャー」なんて言えた空気ではない。仕方がないので併設のショップを眺めていたら、小原庄助、白虎隊、野口英世という福島オールスターズに加えて、今年は「八重さん」ブランドも仲間入り。日頃お世話になっている人へのお土産なら大吟醸なんかをお勧めするが、ただの酒飲みだったらお土産はこれで十分だろう。個人的には「酒まんじゅう」が一押し。これがメチャクチャ旨いんだニャー。

 取材の間隙を縫って、試飲コーナーで新酒を舐めてみる。これはタマラン。新酒はご当地で飲むに限る…などと呟く間もなく予定の時間が終了。渋々タクシーに戻る。時間がある方は是非、試飲コーナーを活用していただきたい。ついでにお酒も買っていただきたい。帰りがけに、女将さんのご好意で「八重さん」のカップ酒をいただく。「我々は取材に来たのであって、そんなつもりはない」などと心で遠慮しながらも素直にカバンに詰め込む。これは自分で飲まずに銀座のMちゃん(郡山市出身)にでもあげるか…。「会津は元気だったよ」というメッセージを添えて。 <第四章へ続く>