第一章〜アホの子が古河に焦がれて

 季節ごとにテーマを決め、ゆったりしたスケジュールで古都を歩く。日本の原風景を求めて…。そんな旅こそ“アラカン世代”にふさわしいのではないだろうか。第4回目は茨城県の西の端っこ、関東平野のほぼ“どまんなか”に位置する古河市。

縁が縁を呼んで…

 恥ずかしい話だが、結構最近まで“ふるかわ市”だと思っていた。「え?違うの」と思ったアナタ、アホな私同様、今日から改めていただきたい。正しい読みは“こが市”である。万葉集に「麻久良我の 許我の渡りの韓楫の 音高しもな寝なへ 兒ゆゑに(古河の渡しのから梶のように声高く広まってしまった、まだ供寝もしないあの娘とのことで)」という歌がある。まだ何もしてないのにアノ娘と噂になっちゃったというという、なかなか艶っぽい歌だが、少なくとも万葉集が編纂された奈良時代にはこの地に“こが”という名の渡良瀬川の渡し場があったことがわかる。

 以前ある業界誌で、古い蔵をレストランやギャラリーに改装して新たな生命を吹き込む、いわゆるリノベーション事例を紹介するコーナーを担当しており、古河市の「篆刻美術館」にも一度は取材に行こうと思っていた。ところがその雑誌が突然廃刊になり、それから4年ほど古河市とは縁がなかったのだが、友人のK君の個人的な事情と、2月に私が栃木県宇都宮市へ引越したことから、新たな縁が生まれた。

 K君の事情というのは「昨年亡くなった縁者が古河の出身で、古河に墓所があるから墓参の帰りに宇都宮に寄って、私と食事でもしたい」との事だった。私はその時K君に宇都宮と古河が比較的近いことを教えられ、早速調べてみると、JR湘南新宿ラインで47分と、確かに近い。そこで「古河には以前から行ってみたかったので、現地で会おう」ということになった。

 K君が東京で仕事を済ませ、車で古河に到着するのは夕方近くになるという。ネットで古河の観光案内を調べると「ほとんどが徒歩圏内」ということだったので、3〜4時間あれば十分と見た私は11時台の電車に乗って古河駅へ向かった。駅の構内に案内所があるので、そこで地図やおおまかな情報を仕入れようという魂胆である。こうした遠足気分のプチ旅行は久しぶりである。この日は3月の下旬だったが、快晴の上、上着が要らないくらい暖かかった。

 古河駅についたのは正午ちょい前。まずは案内所へ。係のおばさんに地図を下さいと言うと「総合公園の桃まつりは明日からなんですけど、今年は温かいから、結構咲いちゃってるみたいですよ。良かったら見に行って下さい」とのこと。いただいた地図で確認すると、会場の総合公園まではちょっと距離がある。そこで「この辺で自転車借りられます?」と聞くと西口駅前の「花桃館」で借りられるという。しかも無料!

 無料というのは歓迎するが、もしかしたら身分証明とか面倒な手続きがあるのでは? といぶかりながら「花桃館」へ。行ってみると何のことはない、名前と連絡先を記入するだけでOK。時間は9:00〜16:00まで。素晴らしいぞ、古河! 実際に借りてみるとなかなか立派な自転車だ。しかも変速ギア付き。しかし、ただで貸しちゃって、どこかに放置されたり盗まれたりしないのかなぁ…。などとサドルの高さを調整しながら考えていたら前かごに「コガッツ号」という大きな文字が。なるほど、これなら大丈夫かも。しかし、これで走るのはちょっと恥ずかしい…。

走れ!コガッツ号

 晴天、無風という抜群のコンディションの中、コガッツ号はスイスイ進む。しかし、考えたらどこを走っているのか全くわからない。一旦停止し、地図を見ながらルートを決めることにした。さて、古河市の観光コースを眺めてみると、ほとんどが駅から1キロ圏内で、確かに徒歩コースだ。一番遠い総合公園でも、直線距離で駅から1.2キロ程度。ということは自転車も必要なかったわけだが、自転車を返すまでざっと4時間足らず、見たいところは沢山あるので、そんなにのんびりできるわけでもない。

 と言いながらも、まずは腹ごしらえと考えるのが食いしん坊の悲しい性である。とりあえず線路沿いに北上して左折、旧武家屋敷の土塀の続く杉並通りを抜けて、昼飯処を探すことにした。ほどなく杉並通りに到着。土塀の前で写真を撮ると、さらに左折。地図上ではこのまま行けば篆刻美術館のある通りに向かうことになるが、ふと細い道の左側に赤煉瓦の蔵が見えたので寄り道。この蔵、駐車場の中央にぽつねんと立っており「和田家」の看板が。さらに進むとお屋敷風の立派な門。どうやらここは高級料亭らしい。こういう店にはハナから縁が無いと、通過しようとしたら脇道に小さな暖簾が下がっており、昼食の案内板がある。

←上から1日だけの愛車コガッツ号、和田家のうな玉丼、永井路子旧宅、蔵に挟まれたガソリンスタンド、篆刻美術館の3階建て石蔵、同美術館裏手の石蔵、古河一小の雪華校章、古河文学館、文学館のエントランス

 どれどれと案内を眺めてみたら大好物のうなぎがメインのようだ。しかもなかなかリーズナブル。どうやら「茉鈴(まりん)」というこの店、料亭和田家のカジュアル版として営業しているらしい。中を覗くと、ちようど昼時とあって結構混んでいる。早速カウンターに陣取ってメニューを広げると「うな重」「うな丼」以外に「メソ天丼」の文字。メソとはうなぎの稚魚のこと。これには少しばかり食指を動かされたのだが、昨晩天ぷらを食べたばかりだったので「うな玉丼」1,800円を注文。遠慮無くガツガツと食らう。

 そういえば観光地図には古河名物・鮒の甘露煮と書いてある。うなぎを含め、川魚が看板料理ということか。この界隈には和田屋以外にも料亭や割烹が多い。それぞれが立派な門構えであるところを見ると、かつては古河藩の城下町、日光街道の宿場町として、明治以降は製糸産業によって栄えたという古(いにしえ)の栄華が偲ばれる。日の暮れる頃にはお大尽連中が芸者さんを引き連れてにぎやかだったのかもしれない。今は静かすぎるほど静かだが…。

テンコクってなんだっけ?

 大通りに出ると、まず当地出身の作家、永井路子の旧宅がある。さらに進むと、2つの古い蔵にはさまれたユニークなガソリンスタンドが…。珍しいので思わずシャッターを切る。よく見ると蔵は事務所になっているようだ。さらに行くと古河街角美術館、篆刻美術館が並んで建っている。迷わず当初の目的、篆刻美術館へ。3階建ての立派な蔵に煉瓦造りの2階建てがくっついたユニークな外観。重厚なガラス扉を開けると、意外や意外、可愛らしい女性が笑顔でお出迎え。

 客は私一人。「どうせ行くのだから」と文学館、歴史博物館の共通券を買うと、その後の道順を丁寧に説明してくれた。初々しさとか素朴な親切心とか、長い東京ぐらしで忘れてしまった感覚がよみがえる。地方都市には、かろうじてそんな“日本人の忘れ物”に出会う時がある。何だかわけもなくうれしくなる。照れ笑いしながら蔵の展示室に入って気がついた。「ところで篆刻(てんこく)ってなんだっけ?」

 展示室の説明文を読むと印章、つまりハンコの彫刻が芸術にまで昇華した、ということのようだ。ちなみにこの3階建ての石蔵は大正9年の建造、国の登録有形文化財らしい。展示内容は古河出身の篆刻家・生井子華の作品を中心に刻印と印影を集めている。立派なものだということはわかるが、基本的には福山雅治ではないが「さっぱりわからん…」。裏にも2階建ての立派な石蔵があって、こちらには地元の中学生が授業の一環として彫ったという印影が展示されている。こちらは一般人の名前だからわかりやすい。

 篆刻美術館の少し先には「河鍋暁斎生誕の地」という石碑がある。暁斎は幕末から明治にかけて活躍した異才の絵師だが、古河の出身とは知らなかった。この角を南下すると、煉瓦造りの校門が印象的な古河一小という小学校があり、こちらの校章は珍しい雪華(雪の結晶)である。これは日本で初めて顕微鏡で雪の結晶を研究したことで名高い古河藩主・土井利位の『雪華図説』にちなんだもの。同様の理由で古河には街のあちこちに雪華モチーフがある。

 利位と言えば、天保の改革を推し進めた水野忠邦を引きずり下ろした(その後復帰)老中首座としても有名で、大阪城代だった時には大塩平八郎の乱を鎮圧しているし、政治家としてはなかなかのやり手であったらしい。この小学校から古河文学館までは目と鼻の先。緑豊かで雰囲気の良い散歩道だ。

 文学館は山小屋のような造りで、エントランスにはグランドピアノや蓄音機があり、コンサートや朗読会も開かれるようだ。2階にはイタリアンレストランもあり、古河市の文化水準の高さを感じさせる。古河出身の文学者といえば永井路子、小林久三、佐江衆一、和田芳恵、粒来哲蔵、粕谷栄市といった面々だが、たまたまこの日は企画展として武井武雄の貴重な「刊本」や伝説的な児童雑誌「コドモノクニ」の挿絵原画が展示されており、思わず唸ってしまった。電子書籍が主流になりつつある昨今、宝石のような「刊本」の数々を見て書籍とは総合芸術であることを改めて感じ入った。古河文学館侮りがたし。ついでに気がついたのだが、おばあちゃんの印象しかなかった永井路子さん、若いころはかなりの美人だったようだ。<第二章へ続く>