第二章〜花桃も桃も桃のうち

この公園、タダモノではない

 文学館の次は、隣接する古河歴史博物館と鷹見泉石記念館に足を運ぶのが定番コースのようだが、地図を見ると、文学館の前の道をただまっすぐ南下すれば、古河総合公園に行けることがわかったので、博物館は帰りに寄ることにして、一路、コガッツ号は南へ。

 その途上、いろいろと興味深いものを見つけたのだが、ただでさえダラダラとした文章が余計に締まらなくなるので割愛。市街地を抜け、354号線を過ぎたあたりから、周囲はぐっとひなびた風景に変わる。この街は起伏がほとんどないので実に走りやすい。以前住んでいた木場もそうだったが、川や水路が多い場所はその分橋も多いから起伏が激しい。体力づくりにはいいのだろうが、私の場合、作ろうにも基礎になる体力がない。いまさら太ももをパンパンにしても体型のバランスが悪いだけなので、普段はもっぱら歩くことにしている。

 時間が無いときはコガッツ号でも良いのだが、読者の皆様には徒歩での古河散策をおすすめする。この街には実にさまざまな発見がある。何気ない場所や建物が、いちいち絵になる。これは作ろうとして作れるものではない。街全体を「昭和遺産」にしたくなるような風情にあふれている。住民が街の雰囲気というものを大切にしていることが良くわかる。

 余談はさておき、肝心の総合公園だが、遠目でもわかるピンク色。これは期待できそうだ。幸い交通量も少ないので、コガッツ号のギアをチェンジして高速モードに。いざ公園の入口に来てみると、かなり大規模な敷地であることがわかる。総面積22.4ha。それもそのはず、この公園はかつての古河公方の館跡。つまり室町時代の城跡なのだ。地図で見ると、沼に囲まれた台地が公方館があった場所で、沼を天然の堀にしていたことがわかる。公園全体の南半分がこの城跡で、北半分は桃林に加え、蓮や花菖蒲が咲く池になっている。

 まずは桃林に向かう。花桃は約2,000本。7〜8部咲きといったところか。この桃は3代将軍家光の補佐役として辣腕をふるった大老・土井利勝が植樹を推奨したことに由来する。その風貌や言行が家康に酷似し「小家康」と呼ばれた(落胤ではないかという説もある)利勝が古河に入封したのは寛永10年(1633)。その後は後継者に恵まれず、3代で移封されるが、80年余年後に復活し、土井氏は幕末まで7代続くことになる。松平、堀田、本多といった名家が名を連ねる中、古賀藩主と言えば土井氏というイメージが強いのはそのためであろう。

写真上から古河総合公園の花桃、同公園内の茶畑、移設された民家、古河歴史博物館に残る堀と土塁跡、なぜか古河歴史博物館にあるストリートオルガン、鷹見泉石記念館、鷹見泉石の肖像画(渡辺崋山筆)、駅裏で見つけたアンティークショップ、同洋品店、Cafe 5040 Ocha-Nova (オチャノバ)、丸満の餃子→

 しかし、この美しい桃林を前にして、そんな歴史的背景を語るのは野暮というものだろう。桃まつりは毎年3月下旬から4月上旬までの2週間。ひと通り撮影はしたが、これから満開に向けてもっと美しくなるだろう。桃が終われば花菖蒲、そのあとは古代蓮の一種である大賀蓮、秋には紅葉と、年中見どころの多い公園である。加えて、モダンな建築物やオブジェが実にさりげなく、風景に溶け込んでいることに感心させられる。それもそのはず、この景観は景観学者の中村良夫・東京工業大学名誉教授の手によるもので、2003年には「文化景観の保護と管理に関するメリナ・メルクーリ国際賞」を受賞している。

 メリナ・メルクーリの賞だからといって“日曜はダメよ”というわけではない。休日にはここにたくさんの市民が集まって、思い思いの時間を過ごすに違いない。親子連れにも、デートにも、ピクニックにも、散歩にも、スポーツにも、どんな用途にも対応できる懐の深さがある。一見取り留めが内容に見えて細部まで隙がない。しかも、年ごとに進化し続けている。こんな公園、そう滅多にあるものではない。

 桃林を離れて今度は公方館の方へ。今は公方館の建物はないが、2つの古民家が移築されている。そして民家の南側には一面の茶畑。古河は古くからさしま(猿島)茶の産地でもある。ここでは古河の代表的な農村風景を再現しているようにも見える。いろいろと興味は尽きないのだが、時計を見るとすでに午後3時を回っている。残すはあと1時間。このまま公園でマッタリというわけにもいかない。再びコガッツ号に飛び乗って市街地にUターン。

城はどこへいった?

 残すは古河歴史博物館と鷹見泉石記念館の2つだが、ここに来て「何かが足りない」と感じた人はなかなか勘が鋭い。そう、名門古河藩、武家屋敷、譜代の土井氏と来れば当然あってしかるべきものがない。そう、お城である。お城ならさっきの公園にあったではないかと言われそうだが、初代古河公方・足利成氏が古河公方館にいたのは2年ほどの間で、その後は出城として使われた。本来ならば、古河城というもっと大規模な城があったはずである。しかし、その城跡がないのである。

 その答えは古河歴史博物館にある。実は、この博物館が建つ敷地も諏訪曲輪という城の一部で、一見水路のように見えるのが、かろうじて残った当時の堀である。古河城は渡良瀬川に沿って南北に長く造られ、東西約0.45〜0.55km、南北約1.8kmという関東屈指の城郭を誇っていた。博物館ではその威容が模型で再現されており、現在の地図と比べると本丸など主要な部分が堤防や河川敷になっていることがわかる。

 なぜそうなったかと言えば、最初は明治6年 (1873)の廃城令による城の取り壊し、続いて明治43年 (1910)から大正14年 (1925) にかけて行われた渡良瀬川の改修工事によるもの。この工事で、古河城の面影は跡形もなく消え去った。なぜそんな大規模な工事を行ったかは、有名な足尾鉱毒事件が深く関わっている(鉱毒による樹木の枯死→土砂の河川大量流入→洪水の頻発と鉱毒の被害拡大→遊水地と堤防設置)のだが、この経緯についても博物館である程度知ることができる。

 古河城には天守閣はなかったが、本丸の西北に「御三階櫓」という3層4階、22mの櫓があった。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」で犬塚信乃と犬飼現八が格闘する“滸我御所の芳流閣”はこの櫓がモデル。土井利勝が幕府の実権を握っていた時期の建築であり、歌舞伎でも「芳流閣の場」として屈指の名場面になっているから、遠目にも壮麗な櫓であったことは間違いない。

 さて、歴史博物館の中で最も大きなスペースを割いているのが鷹見泉石に関する資料である。古河藩の家老にして蘭学者、幕末を代表する知性なのだが、それほど有名ではない。これは維新後の明治政府によって幕臣の功績が封殺されたのと同じ理由であろう。むしろ、渡辺崋山が描いた見事な彼の肖像画(国宝)の方が一般には有名かもしれない。幕末の日本を動かした主要な人々と幅広い交流があり、その中心にいたことは間違いないのだが、この人の業績を説明するには、連載をひとつ増やさなければならないので、鷹見泉石とはなんぞやというテーマについては読者の皆様に委ねようかと思う。

 この泉石が晩年に住んでいた屋敷が鷹見泉石記念館である。隠居屋敷とはいえ、堂々たる門構えの邸宅だが、かつては建坪100坪という広大な建物だった。先に述べた古河城の「御三階櫓」を建てた際に余った材料で造られたと伝えられている。邸内の細やかなしつらえや美しく手入れされた庭が素晴らしいと、係の人に声をかけたら、丁重なご挨拶をいただいた。古河の人はなかなか品がよろしい。皆が皆、そうだというわけではないだろうが…。

 コガッツ号返却締め切りまであと30分。あれも見たかった、これも見たかったなどと一人ブツブツ呟きながら駅に向かう。その途上でK君からメール。渋滞で少し遅れるとのこと。それは好都合と、自転車を返却したあと、もう少し市街を歩くことにした。

まさに餃子の如し

 コガッツ号を借りた「花桃館」は駅の南端にあるのだが、ここから南西に伸びる小道があったので、何とはなしに歩いてみることにした。木造の古い家屋や生活感あふれる路地、地方都市によくある昔ながらの風景が続く。そんな中、「古美術大正館」と書かれたアンティークショップを発見。アンティークショップというより古道具屋といった方が似つかわしい風情だが、この道をさらに行くと、今度は昭和30年代からほとんど変わっていないであろう風景に遭遇。

 古い洋品店が2軒並んでいる。ショーウインドウというか、窓の一部というか、こういう造りの店舗はほとんど現存していないのではないか。思わず拝む。なぜ拝むのかは自分でもわからないが…。少し大きな通りに出ると、懐かしいすずらん状の街灯があったので、写真を撮ろうとしたら、ふと奇妙な建物に目が止まった。

 一見古い民家のようだが、よく見るとドアに「OPEN」と書いてある。何かを売る店舗かと思い中を覗いたら、何とカフェだった。後でわかったのだが「Cafe 5040 Ocha-Nova (オチャノバ)」という地元では有名な店らしい。早速中に入ってみると、流行の古民家カフェなのだろうが、随所にアンティークを使ったセンスの良さや遊び心が感じられる。「この地にふさわしい店だ」などと感心してコーヒーをすすっていたら、K君から「駅に着いた」とのメール。K君が東京まで帰る時間もあるので、早めの夕食ということになったのだが、まだ夕方の5時前。そんな時間に開いている店があるだろうか。

 仕方ないのでK君のスマホで調査。駅の近辺で名物料理が食べられて17時前に営業している店…。そんな都合のいい店があるだろうかと思っていたら、あったあった、老舗餃子店の「丸満」。駅から徒歩5分、16時から営業している。かくして私とK君は店名どおりのまんまる餃子に舌鼓を打った。それにしてもこの街、餃子のようにいろんなものが小じんまりした市街地の中にギュッと凝縮されており、ちょっと噛っただけでも、旨味がジワリと溢れ出す。わざわざ遠くにいかなくても、灯台下暗し、近場にこそ歴史と文化を秘めたさまざまな小宇宙がある。宇都宮に引っ越したのを契機に、関東の古都を順繰りに訪ねてみようと思う。<次回へ続く>