第二章〜将軍家ゆかりの地は織物と学問の街

蕎麦に惹かれて足利詣で

 さて、お花に見とれているうちにランチタイムが近づいてきたので、美味しいものには目がないワタクシ達一行は渡良瀬川沿いの道を通って一路、足利の市街地へ。今回のお目当ては全国的に有名なお蕎麦屋さん。足利には、全国のそば好きが集まる名店があるんです。

 お店の名前は「一茶庵本店」。創業者は伝説のそば打ち名人として名高い故・片倉康雄さん。そば打ちの技術はもちろん、素材や道具にもこだわって、ご自分で制作する傍ら、北大路魯山人を始めとする文化人との交流を通して、そばを単なる食べ物から芸術にまで高めた人なんですって。とろろそばの考案者でもあるそうですよ。

 片倉さんは平成7年に亡くなられたのですが、全国に700人ものお弟子さんや孫弟子さんがいらっしゃって、これを業界では“一茶庵系”と呼ぶそうです。そんな大名人の店がどうして足利にあるのかと言えば、もともと片倉さんは埼玉県加須市の出身で、最初に出した店は新宿駅の東口にあったらしいのですが、足利に店を構えたのは昭和29年、片倉さんが50歳の時。東京で料理人として名声を博していた片倉さんを、足利の市長さん始め、地元の著名人が招待するような形での開店だったようです。

 その後、片倉さんの技術を学ぼうと全国からそば打ち職人が集まってきたので、これを“足利詣で”って呼んでいたんですって。一茶庵系の蕎麦は、こうして厳しい修行を経た職人さんたちによって全国に広まっっていったというワケです。現在の本店は息子さんとお孫さんが経営されているとのこと。名人直伝のそばってどんな味なんだろ。うひょ〜楽しみぃ!

 ということで、ほどなく一茶庵に到着したのですが、あれれ?なんかひっそりした雰囲気。あっ! もしかしてお休み? ガーン…。そうかぁ、連休明けだもんね。仕方ないわよね…。途方に暮れるワタクシにスタッフさん「大丈夫。近くにお弟子さんの店があるよ。しかも食べログなんかでは本店より評価が高いんだ」

 そのお店はちょうど取材予定に入っていた織姫神社の近くにあるということで、車は小高い山を登って行きます。こんなところにお店があるの? なんて呟いていたら狭い山道が急に開けて、駐車場が見えてきました。「ここから歩いてすぐだと思う」とスタッフさん。どれどれとついていくと、藤棚の先にきれいな神社らしきものが見えてきました。あっ、ここは境内なのね。もしかして道を間違えちゃったんじゃないの?

生涯最高の味かも…

 とはいえ、取材の目的地には無事に着いたわけで、先に撮影しようかなんて話していたらスタッフさん「あったあった、階段の脇に幟が見えるよ。あの店だ」

 そのお店は境内から足利市内を見下ろす絶好の場所にありました。それもそのはず、後でわかったのですが、もともとは参道の茶店だったそうです。お店の名前は「蕎遊庵(きょうゆうあん)」。ご主人は片倉名人の“最後の弟子”と呼ばれている方だとか。お店に入ると、眺めも雰囲気も最高。春は桜、秋は紅葉が楽しめるそうです。

 奥の窓際に陣取って、早速注文。そば通を気取って「石臼手挽き蕎麦」を頼もうと思ったらすでに売り切れ。するとスタッフさんが「一茶庵系の店には必ず変わりそばがあるんだ」というので、ものは試しとオーダーしたのが「桜切り」。スタッフさんが「蓬(よもぎ)蕎麦」を頼んだので、半分ずつシェアすることに。

 ほどなく運ばれてきたお蕎麦は、ほんのりピンク色。あれれ?薬味が初めて見る紫色。これは辛味大根の色らしいのですが、さっき藤の花を見てきたばかりだし、きょうは何だかパープルずくしなのね…。早速、いただきま〜す! と一口食べてビックリ! お口の中にジワッと広がる蕎麦の風味と桜の香り。本物のお蕎麦ってこういうものなのね。

 食べ進んでいくうちに感じるのが、スッキリとした喉越しと奥深い味わい。何て表現したらいいのか、とにかく“端正”で“気品のある”お蕎麦。これが名人直伝の味なのね。今まで食べた中で最高かも。一口一口、噛みしめるようにいただきました。

 大満足のランチタイムを終えて、次は織姫神社です。1705年の創建。名前のイメージ通りの、朱色がキュートな社殿(1937年再建)。左右対称なのは京都の平等院鳳凰堂をモデルにしたんですって。足利市は古くから織物の街として栄えてきたので、こちらはその守護神なのね。涼やかな風が渡る境内からは、市街地と渡良瀬橋、渡良瀬川が一望できます。青い空に新緑、鯉のぼりが舞う今の季節は特に最高。

 だんだん時間が押してきちゃったので、次は急ぎ足で足利学校へ。あのフランシスコ・ザビエルが「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー(大学)」と書き残したために、世界にも名前が知れ渡ったという儒学や易学の名門校。北条氏政が庇護した戦国時代と、江戸時代の中頃に最も栄えたそうです。そういうことも踏まえて、世界遺産への登録を狙ってるみたい。

 現在の建物はその江戸時代中期に残された図面を元にして、平成2年に復元されたもの。だから、お庭も建物も新しくてピカピカ。例えて言うなら、映画のセットのような雰囲気かな。展示物も真面目そのもので、あと何十年か経ったら味が出てくるかも。でも、昔の学校の雰囲気は良くわかります。

 昔の学生はあんなに狭いところで寝泊まりしたり勉強したりしていたのね。当時はずっと授業中正座でしょ。ワタクシには耐えられないわ。すぐに足が痺れて「センセ〜、ムリムリ」って言いそう。でも、日本人の勉強好きって、昔からなのね。お庭の深い緑を眺めているうちに、今から何か学んでみようかな、なんて思っちゃいました。

 足利市のラストは、昨年本堂が国宝に指定された鑁阿寺。足利学校から目と鼻の先にあるんですが、ここに行くまでの道が、おみやげ屋さんとか骨董屋さんとか相田みつを(足利市生まれ)ゆかりの割烹なんかが並んでいて、いかにも門前町の風情。でも、それを味わっている時間がないので泣く泣く目的地へ。

 鑁阿寺は、もともとは足利氏の邸宅だったそうです。そのせいか、周りに堀と土塁が巡らせてあって、ちょっとしたお城みたい。実際に「日本の100名城」にも選ばれています。この堀を渡る橋が四方にあって、南側の山門の前には屋根付きの太鼓橋があり、これが独特の雰囲気。堀にはぎょっとするくらい大きな鯉が悠々と泳いでいて、土塁の下ではカルガモがひなたぼっこ中。

 鎌倉時代に建てられた本堂は“和様に禅宗様を採り入れた折衷様建築の先駆”ということで、イマイチ何のこっちゃわかりませんが、とにかく貴重な建築物のようです。他にも鐘楼や経堂、多宝塔、大銀杏と見どころはたくさん。でも、だんだん陽が傾いてきちゃった。日帰りツアーの宿命よね。急ぎ足(と言っても車ですが)で栃木市に向かうことに。<第三章へ>