第一章:名僧の“お持ち帰り”〜お茶のルーツ

 季節ごとにテーマを決め、ゆったりしたスケジュールで古都を歩く。日本の原風景を求めて…。そんな旅こそ“アラカン世代”にふさわしいのではないだろうか。第7回目も、おなじみ宝塚歌劇団の元娘役トップスター・舞風りらさんが案内する秋の京都。そして今回のテーマは「都のお茶文化」。

今回は高尚なテーマ?

 皆様お久しぶりです。舞風りらです。

 ついこないだまで「暑い暑い」って言ってたのに、あっという間に冷たい風が吹いて、街路樹もだんだん色づいてきて、すっかり秋のムードになっちゃいましたね。冷え性で寒がりのワタクシにとっては、秋というより一気に冬が来たような気分。

 そんな時にアラカン編集長から突然の連絡。「月末空いてる? 今度は京都に行くよ。京都は好きだよね。そんでもってテーマは都のお茶文化。舞風さん、お茶も好きだもんなぁ。最高の企画だと思わない? じゃあ、よろしく」

 相変わらずの一方的なオファーでしたが、言われたことに間違いはなく、内容に関しては全くその通りなので、前後を考えると多少ハードな日程でも気合が入るワタクシ ∠( ゚д゚)/ 宝塚時代が長かったとはいえ、京都はホント久しぶり。仕事で大阪にはちょくちょく行くんですけどなかなか途中下車できなくて…。でも、どうせ行くなら今じゃなくて、紅葉真っ盛りの11月末あたりがいいような気も…。

 「いーなー、いーなー」ふと気が付くと、アラカン編集長から送られてきたスケジュール表を見てしきりに羨ましがるC社長(ワタクシのマネージメントをしていただいている会社の社長です)。「編集長行きつけのおばんざいやさんに行くって書いてあるよ。いーなー(社長)」「でも、まだちょっと紅葉には早いでしょ(ワタクシ)」「いやいや、紅葉シーズンの京都は凄い人出になるから、かえって身動きが取れなくなるよ(社長)」「なるほどー、そーゆーことなら今のほうがいいかも(ワタクシ)」

 そんなわけで朝8時30分東京駅発の新幹線で一路、秋の都へ。前日までのハードスケジュールで睡眠時間1時間のワタクシ。朝ごはんも食べずに来たので、ホームの待合室でコンビニで買ったおにぎりを食べていたら、隣のオジサンが怖い顔で睨んでる。なによ、別にいいじゃない。新幹線の中だって駅弁とか食べるんだから、待合室でおにぎり食べて何が悪いのよ。おにぎりだからそんなにニオイもしないでしょ、フン! (-"-)

 そんなワタクシとオジサンの冷戦状態に割って入ったのがいつものスタッフさん。「やあ、どーも、お久しぶり。相変わらず荷物が多いですねぇ。そんなでかいスーツケース京都まで引きずって行くつもり?(スタッフさん)」「ケースは大きいけど中身はそんなに入ってませんよ(ワタクシ)」「ああ、そうか。金沢の時みたいにお土産買いまくりって、帰りにはずっしり重くなってるってことかぁ(スタッフさん)」と、いつも通りのおバカな会話。でも、おかげで待合室の冷戦状態は消滅。

 「今回は3日間のスケジュールなので、テーマを3つに分けま〜す。まずその一、『お茶の歴史』。お茶が日本に伝わってから普及していくまでの過程を、ゆかりの地に行って検証する。そのニが『お茶と芸術』。世界でも類を見ない総合芸術にまで昇華した茶道の世界を、千利休や本阿弥光悦といった芸術家の足跡を追いながら探っていく。そしてその三が『お茶の未来』。近年、外国人観光客を中心とした抹茶ブームや、フレバーティーなどのさまざまな飲み方が話題になっている。そんな中で、現代人にとってのお茶と、その未来について考察する。どう? 今までになかった高尚なテーマでしょ。で、だいたいの内容はわかりました?」 

 スタッフさんが熱弁している間、ワタクシは容赦なく襲って来る睡魔に勝てず、瞼は重くなる一方。それでも、ウトウトしながらたったひとつの言葉だけ覚えていました。それは「フレバーティー」。ワタクシの大好物、というか毎日の習慣。それがないと生きていけない大切なもの。あ〜、お茶飲みたい。でも、すっごく眠い (=o=)

最初は薬だった

 熟睡している間に京都駅に到着。実際には、初日が宇治、二日目が洛北、三日目が洛中というスケジュールだったのですが、今回はテーマ別にご紹介するということで、ご紹介する順番は実際に取材した順番とは違っていますのでご了承ください。トップ写真の平等院は宇治に行くついでに初日に取材したのですが、今回のテーマとは直接関係ないのでここではご紹介を割愛させていただきます。平等院ファンの方、ごめんなさいね。

 お茶のルーツということで、まず最初にご紹介するのが建仁寺。京都観光のメインスポット、祇園・花見小路の奥にあって俵屋宗達の『風神雷神図』を所蔵していることでも有名な禅寺です。なぜ最初にここをご紹介するかと言いますと、このお寺を開いた栄西さん(さん、って言っても知り合いではないんですけど)が、その頃廃れてしまっていた喫茶の習慣を鎌倉時代に再び伝えて『喫茶養生記』という本を書き、そのことが日本でのお茶文化を発展させるきっかけになったからなんです。

 日本でのお茶の歴史を紐解いていくと、805年に最澄さんが唐から茶の種子を持ち帰って植えたというのが最初なんだそうです。空海さんもお茶好きだったという記述もあるとか。この頃飲まれたお茶が実際にどんな種類のお茶だったのかはイマイチよくわからないのですが、京都のお寺や貴族を中心に飲まれていたようです。でも、習慣として大きく広がることはなく、そのうちだんだんと廃れてしまったようです。

 栄西さんがお茶の種と一緒に宋から持ち帰った飲み方は抹茶で、当初はカフェインを利用しての眠気覚まし、つまりお薬として珍重されていたようです。それが栽培が進むにつれて徐々に普及していったということで、建仁寺には『栄西禅師 茶碑』と刻まれた記念碑と小さな茶畑、『東陽坊』という立派なお茶室もあります。このお寺は飲食店やお土産物さんの密集地帯、祇園にあるとは思えないほど広くてゆったりしています。禅寺なので派手さはありませんが茶色を基調としたシックな伽藍を眺めていると心が落ち着きます。あっ、『風神雷神図』を見たいって思った方、残念ながら本物は京都国立博物館にあって、お寺にあるのはレプリカなんです。それでも大迫力なので是非見に行ってくださいね。

国宝でお茶を

 次にご紹介するのが高山寺。京都でも有数の紅葉スポットで、ピーク時には一日3000人の観光客が訪れるそうです。今話題の『鳥獣人物戯画』でも有名なお寺ですよね。このお寺をご紹介する理由は敷地内に「日本最古の茶畑」があるから。前に「最澄さんが唐から茶の種子を持ち帰って植えた」のがお茶のルーツと紹介しましたが、その茶畑は滋賀県大津市の日吉大社に今でもあるそうです。じゃあ、それが「最古」じゃないかってツッコミが入りそうですが、こちらの茶畑は栄西さんが持ち帰った種を、高山寺の実質的な開祖である明恵上人が譲り受けて栽培を始めたということで、要するに、お茶栽培が復活した鎌倉時代をスタート地点と解釈した場合の「最古」ということになるようです。ちょっとややこしいかも。

 高山寺は山寺なので、結構急な階段を登って行くのですが、バス停や駐車場があるのが裏参道の方なので、殆どの人は裏参道から登るようです。茶畑は最初の階段を登り切ってすぐ左手にあります。実際に見てみると目立たない小さな畑ですが、ここで収穫された新茶は『鳥獣人物戯画』の描かれた茶筒に入れられて販売されるそうです。収穫量を考えると、大変な貴重品ですね。

 茶畑の右手には国宝・石水院があります。国宝(しかも世界遺産)と言っても、一見目立たない普通の民家のような建物。でも、渡り廊下から建物の奥に入ってみると、開放された建具のスペースを額縁のようにして、美しい緑が広がります。紅葉の季節ならきっとすごく鮮やかな色になるでしょうね。でも、やっぱり今が正解。観光客が少ない分、自然と一体になったような静寂の世界が広がります。歴史を感じさせる色あせた縁側を歩いていくと、善財童子の像がポツンと置かれた板張りのスペースが。ここから見る風景は特にきれい。ちょっと異次元のような感覚に襲われます。

 院内には『鳥獣人物戯画』のレプリカも展示されています。本物は京都国立博物館にあって、現在公開中。ワタクシも三日目に見に行ったのですが、なんと80分待ちの大人気! 残念ながら時間に余裕がなかったので断念しましたが、スタッフさんはミュージアムショップでグッズを買い込んでいました。実は『鳥獣人物戯画』ファンだったのね。買ったトートバッグなんか眺めて一人でニヤニヤ。『鳥獣人物戯画』って、可愛いとは思うけど、グッズまではねぇ…。

 石水院ではお抹茶をいただくこともできます。国宝でお茶、なんてなかなかできない体験ですよね。これはおすすめです。石水院からさらに上に登っていくと、静けさの中でひっそりと金堂が佇んでいます。京都の市街地からはちょっと遠いけど、(車で40分ぐらい)森林浴を兼ねてぜひ行ってみて下さい。空気も美味しいですよ。

お茶を学ぼう!

 ところで、一口にお茶と言ってもいろいろあるんですよね。中国では色別に緑茶、白茶、黄茶、青茶、紅茶、黒茶という6種類に大別されるそうですが、緑茶以外はすべて発酵茶で、発酵の度合いや方法によって区別されるそうです。例えば、烏龍茶は半発酵の青茶、プーアール茶は微生物で発酵させる黒茶。完全醗酵させたお茶が紅茶です。

 ここで単純な疑問が浮かんできませんか? 中国でお茶というと緑茶や紅茶以外のものが主流ですよね。もともとお茶のルーツは中国なのに、なぜそれを持ち帰った日本では緑茶が主流になって、イギリスでは紅茶が主流になったんでしょうか?

 いろいろ調べてみると、奈良時代頃までは日本でもお茶といえば発酵したものだったようなのですが、少なくとも栄西さんがお茶を持ち帰った平安末期から鎌倉時代には茶葉を蒸すことで酸化・発酵を止めるという緑茶の製法が伝わっていたようです。でも、この製法は中国(当時は宋)では凄くマイナーなやり方で、一部の地域でしか行われていなかったそうです。それをたまたま栄西さんを始めとする日本の留学僧が好んで持ち帰ったのではないかというのがひとつの説になっています。もしかすると、茶葉をさまざまに発酵させる技術が日本に伝わっていなかったからかもしれませんね。

 そんなわけで、茶葉を蒸して発酵を止める製法は日本独自に発達したものなのだそうです。それを揉んで乾燥させたのが私達が普段飲んでいる日本茶(煎茶)で、揉まずにそのまま乾燥させた茶葉(碾茶)を茶臼でひいて粉末状にしたものが抹茶。みなさん知ってました?(ワタクシは今回の取材までほとんど知りませんでした。お茶好きなのに…)ちなみに、蒸さずに釜で炒って発酵を止めた緑茶もあって、これを釜炒り茶と言うそうです。

 煎茶にも、使う葉によって分けられる玉露とか番茶とか、煎茶を焙煎したほうじ茶とか、古くなったお供え餅を入れてかさ増ししたのがルーツと言われる玄米茶とか、いろいろあって、いっぺんに説明しようとするとこんがらがって目眩がしそうになるので、日本茶の話はこのへんで。紅茶については、第三章で改めて説明しますね。

煎茶と木魚のルーツ

 第一章の最後にご紹介するのは、最近テレビなどでちょくちょく紹介されて人気急上昇中の萬福寺。京都でお茶といえば何と言っても宇治ですが、その宇治市にある黄檗宗の禅寺です。開祖は江戸時代に中国(明)から来た隠元(いんげん)隆Kさん。その時に一緒に日本に持ってきた豆が、名前の由来になったいんげん豆ということで、ちょっと親しみがわきますよね。他にも、スイカとかレンコンなんかも持ってきたそうですよ。グルメな和尚さんだったのかもね。

 このお寺のユニークなところは、建物がどことなく中国風なこと。これは隠元さんのリクエストで、日本に骨を埋めることを覚悟した隠元さんが、二度と戻れない故国を懐かしみ、故郷福州の寺(同じ名前の萬福寺)と同じように作って欲しいと頼んだからなんだそうです。

 そのせいか、屋根の形が中国風だったり、お腹の大きな金色の布袋様がいたり、欄干がラーメン丼みたいな模様(卍崩し)だったり、随所に桃のモチーフがあったり、至るところで異国情緒を感じることができます。解説して下さったお坊さんによると、全体としては大きな龍をモチーフにしているそうです。

 そして、このお寺のシンボルのようになっているのが開ぱん(木へんに邦)と言われる大きな木製の魚。「ごはんだよ〜」という時刻を知らせるための道具なんだそうです。このお魚の頭と尻尾をつかんでぐるっと丸めた形が木魚なんですって。さんざん叩かれたと見えてお腹の辺りが凹んでます。近くで見ていたら無性に叩いてみたくなったのですが、近くに禁止の張り紙が。あ〜、やっぱりダメなのね。

 肝心の萬福寺とお茶の関係ですが、隠元さんは煎茶を広めた人としても有名なんです。当時の宇治は、抹茶の原料づくりが主流だったのですが、隠元さんと弟子たちが寺内で飲むお茶として、宇治の茶葉を使って、中国式の緑茶である釜炒り茶を作り始めるんですね。これが、隠元さんが「煎茶道の開祖」と呼ばれる理由のようです。

 その後、江戸時代中期に賣茶翁と呼ばれた黄檗宗の僧、月海さんが京の大通りに移動式の喫茶店のようなものを設けて、庶民に煎茶を提供しながら、禅の教えをわかりやすく話し、煎茶の普及に貢献しました。お寺という隔絶された世界にこもるのではなく、世俗にまみれながら自我を消し去ろうとする「行」を自らに課した月海さんは、やがてお茶を売りながら生計を立てるようになり、81歳までその行を貫き通します。

 萬福寺には、そんな月海さんを祀った「賣茶堂」や「茶具塚」もあって、この寺と煎茶の深い関わりを感じさせます。また、「普茶料理」という中国伝来の精進料理も有名で(日本の精進料理とは違って油をたくさん使っているのが特徴)、「普茶」というのは「普く(あまねく)大衆と茶を供にする」という意味なんだそうです。予約すれば実際に味わうことができるみたいですよ。
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