その3〜ダメ男たちの“道行き”

 「あの役はイタリア系で足が悪い。それらしく見えるように熱心に研究もした。彼のモデルを見つけようと街にまで出たよ。足を引きずる男を捜したんだ。小説では“まるで4つめの車輪がないようだ”と。すると42番街にいたんだ。彼は信号待ちをしていたんだが、青になると足を引きずりながら一番に道を渡った。彼だと思った。彼こそラッツォだとね。先日妻と街を歩いていたら思わず泣きそうになった。ある男を見てはっとした。スーツ姿で車にもたれ、髪はオールバックで痩せていた。僕には似ていなかったが、彼は成功したラッツォだった…」

 これは2006年の「アクターズスタジオ・インタビュー」での、ダスティン・ホフマンの談話。彼の造形したリアルな都会のアウトサイダーは、その後数々のフォロワーを生んでいく。日本のテレビ史上に残る名作『傷だらけの天使』での水谷豊などは、その一例である。ホフマンはこう続けている。「結局演じた役も自分なんだ。自分はいつだって自分さ。他人にはなれない」

 言うまでもなく、この映画の成功はホフマン、ボイトという俳優の才能に拠るところが大きい。その後のホフマンの活躍についてはご存知の通り。『ジョンとメリー』『わらの犬』『小さな巨人』『パピヨン』『レニー・ブルース』『大統領の陰謀』『マラソンマン』と名声を高め、79年の『クレイマー・クレイマー』と88年の『レインマン』で2度のアカデミー主演男優賞に輝いている。

 一方のボイトは『キャッチ22』『脱出』『オデッサ・ファイル』『コンラック先生』と立て続けに話題作に出演、78年には『帰郷』でアカデミー主演男優賞とカンヌ国際映画祭男優賞をW受賞、キャリアの頂点に立った。その後『チャンプ』の父親役で多くのファンの涙を誘ったのだが、近年はクセのある脇役に回り、若い世代にとっては、2番目の妻との間にできた娘・アンジェリーナ・ジョリーの父親として知られている。

 この作品はアカデミー賞史上唯一の成人指定映画でもある(後に解除)。特に濃厚な性描写があるわけではないが、むしろリアルなゲイの実態やマリファナ・パーティー(ボイトが後にあれは本物のパーティーで、撮影中に実際に吸って、結構ラリっていたと述懐している)のシーンが問題視されたのかもしれない。監督のシュレジンジャーがゲイであったことから、実は隠れた“ゲイ・ムービー”ではないかと勘ぐる向きもあるようだが、むしろハリウッドの伝統的な男らしい“バディ・ムービー”を逆手に取ったと捉えるべきであろう。ホフマンとボイトの凸凹コンビは形を変え、後に傑作『スケアクロウ』のアル・パチーノとジーン・ハックマンへと受け継がれていく。

 社会の底辺で蠢(うごめ)くように生きるラッツオと、愛を知らずに育ってきた田舎者のジョーという2人のダメ男が、都会という巨大な“ゴミ溜め”で出会い、2人は本能的に互いの「どうしようもなさ」を認め合い、反目しながらも肩寄せ合って生きることを選ぶ。タイム誌ではこう評している。「これはアメリカの映画史上に登場したもっとも夢幻的かつメランコリックなラブ・ストーリーのひとつ」。2人を結び付けたのは、真に孤独な者だけが持つ“嗅覚”のようなもの。そう、これは反社会的な形でしか生きられない者同士の“絆の物語”なのだ。ホモの中年男から脅し取った金でフロリダへ向かう2人というのは、ヤクザ映画の“道行き”みたいなものなのである。カッコイイかカッコ悪いかは別にして…。

 結局、これまでの人生の中でジョーを認め、仲間と思ってくれたのはラッツオだけだった。だからジョーは、死にかかったラッツオに出来るだけのことをしてやりたい、新しい人生にはラッツオが必要なのだと信じてバスに乗る。小説のラストを読むと、そんなジョーの心情が良くわかる。最後にその文章を引用しよう。「ブロードウェイの<エヴェレット酒場>でラッツオに出会った最初の晩から、こうしてやりたいとかねがね望んでいたことを実行にうつした。ラッツオの体に腕を回して、しばらく、せめてバスが終点に到着するまででも、そっと抱いてやることにしたのだ。こんな慰めかたをしたところでラッツオのためにはなんにもならない、ということはわかっていた。こうするのは自分のためだった。なぜなら、いまの彼は恐怖に見舞われていたからだ。死ぬほどの恐怖に」<Vol.1 終わり><前回へ戻る>