その2〜映画では語られない部分


  この映画では主題歌も話題になった。監督のシュレジンジャーは当初、ボブ・ディランなど数人のミュージシャンに曲を依頼しており、当時はまだ無名だったが、ジョン・レノンやフィル・スペクターに高く評価されていた元銀行員・ハリー・ニルソンも依頼された一人だった。ニルソンは映画のために『孤独のニューヨーク』(アルバム『ハリー・ニルソンの肖像』に収録)という曲(これも名曲)を書き下ろしたのだが、映画を編集する際にダミーとして使用されていた、フレッド・ニールのカヴァー曲『うわさの男』(アルバム『空中バレー』に収録)が、あまりにピッタリとハマっていたので、シュレジンジャーが気に入り、そのまま使うことになった。

 ちなみにこの曲はアルバム『空中バレー』の中で唯一のカバー曲であり、後に大ヒットした『ウィザウト・ユー』もバッドフィンガーのカバーだったという事を考えると、ニルソンという人は自作がヒットしなかったという意味で、不運なソングライターだったのかもしれない(ニルソンとバッドフィンガーについては近々「ドーナツ盤ストーリー」で取り上げる)。主題歌以外の音楽は007シリーズで有名なジョン・バリーが書いており、哀愁漂うハーモニカ演奏は、名手・トゥーツ・シールマンス。

 原作は65年に発表されたジェイムズ・レオ・ハーリヒィの同名小説(Midnight cowboy)で、ハーリヒィは小説家というよりは戯曲作家(代表作に少女の堕胎をテーマにした『ブルーデニム』などがある)で、舞台や映画にも出演した俳優でもある。自身がアメリカ各地を旅行し、まだ見ぬ都会生活に憧れる純粋な地方の若者達と触れあったことが、この作品のモチーフとして活かされている。

 ハーリヒィは脚本にも参加しているので、脚本は原作にほぼ忠実である。最終的に仕上げたのは『隊長ブーリバ』『あしやからの飛行』などで一流のキャリアを築きながら“赤狩り”で長い間干され、その後偽名で細々とテレビ台本を書いていたウォルド・ソルトで、この作品のあと、それまでの鬱憤を晴らすように『セルピコ』『イナゴの日』『帰郷』といった傑作を連発している。

 ただ、映画化に際しては時間の制約があるため、原作では詳細に描かれていたジョン・ヴォイト扮するジョウ・バックの生い立ちがわずかにカットバックで挿入されるのみで、原作を読まなかった人にはわかりにくくなっている。従って、映画を観ただけだと、バックはちょっと頭の足りない田舎青年のように見えるのだが、原作を読んで、その悲惨な少年時代を知ると、なぜ彼がカウボーイに憧れているのか、ニューヨークに行きたかったのかが理解できる。

 小説では「第一部」に当たるこの部分をざっと説明すると、幼いジョウを育てたのはジョウの祖母で、母親はジョウを預けたまま出奔。男好きの祖母は入れ替わり立ち替わり男を家に連れ込んだが、可愛がってくれた男の服装や勝手な思いこみから、父親のいないジョウの理想的な男性像はジョン・ウエインのようなカウボーイ姿の男になった。

 その後ジョウは町一番の“サセ子ちゃん”アニーと知り合い、恋をする。15歳のアニーは、複数の男に抱かれながら、天井のシミがどんな動物に似ているか想像するのが楽しみという孤独な少女で、孤独なふたつの魂は惹かれ会っていく。自分を初めてまともに扱ってくれたジョウにアニーが本気で恋をしたせいで“サセ子ちゃん”じゃなくなったアニーに腹を立てた不良少年の密告で、アニーは精神病院に入れられ、やがて祖母も死ぬ。天涯孤独となったジョウは、故郷を捨て、「都会の男はホモかインポテンツ」「欲求不満な都会の女は金で男を買う」という雑誌やテレビの風評を信じたまま、いまや唯一の彼の心の支えとなっていたカウボーイ姿で、ひとりニューヨークへ旅立つのである。

 この映画を観て「あまりに世間知らずな主人公に感情移入できない」という若い人が結構いるようだが、1965年当時はアメリカであれ、日本であれ、現代のように情報が豊富ではなかったし、地方ではまだ人の心も荒れてなかった。アラカン世代が地方から上京した頃は、本当に右も左もわからなかったし、あまりに純朴だったために、騙されてカネを巻き上げられた苦い経験も少なくないと思う。そういう意味では、地方出身のアラカン世代なら、ジョウの言動にも割とすんなり共感できたのではないだろうか。<次回へ続く><前回へ戻る>