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2006年に開催されたサッカーワールドカップドイツ大会アジア予選でのこと。2004年10月の敵地オマーン戦で、監督ではなく通訳が、審判への抗議で一発退場という珍事が起きた。その時の日本代表監督はサッカーの“神様”ジーコ。そして熱弁をふるった通訳こそ、今回ご登場いただいた鈴木國弘さんである。15年間ジーコの通訳として活躍し、日本とブラジルのサッカー界では知らない者はいないという鈴木さんが、2008年、50歳を過ぎて突然仏門に入り周囲を驚かせた。いったい何が鈴木さんを突き動かしたのか…。
1974年、サッカー好きが高じて単身ブラジルへと旅だった日本人がいた。19歳の鈴木國弘青年である。友人であったラモス瑠偉(現ビーチサッカー日本代表監督)の紹介はあったものの、ブラジルに親戚や知人がいるわけでもなく、ポルトガル語が話せるわけでもない。しかし、未だ見ぬ異国への憧れと好奇心、19歳の青年にとって、海を渡る理由などそれで十分だった。
ーー飛行機を乗り継いでサンパウロに着いて、その時の第一印象が「ああ、ヤバいところに来ちゃったな」(笑)。それでも何とかブラジルの日本大使館でアルバイトさせてもらえたから、向こうでいろいろ悪い遊びも覚えました(笑)。そうこうしているうちに所持金も底をついてきたので、1年足らずで帰ることになった。ところが、帰りのチケット代がなかったんで、仕方なく親父にコレクトコールで金の無心をしたんです。当時の国際電話はもの凄く料金が高かったでしょ。でも親父はそんなこと知らないから、えらい剣幕で長々とどやしつけてましたけどね。
以来、ブラジルと不思議な縁で結ばれてきた。当時本国でブレイクし始めていたジーコを、当時の鈴木さんは“雲の上の存在”として見ており、まさか自分が一緒に仕事をするなど思ってもみなかったという。
ーー 一般的な日本人にとってのジーコと、ブラジル人にとってのジーコはイメージが全然違う。本国での彼は「生きる伝説」ですよ。それまでどちらかというと「遊び半分のレジャー」「一攫千金狙い」といったスポーツ選手の職業観を変えた人でもある。ジーコを含めて6人兄弟全員大卒ですからね。そのうち4人がプロになってる。大卒のプロ選手というのは当時のブラジルでは異例中の異例なんです。ジーコの両親はサッカーにも理解はあったけど、大学を卒業するのが絶対条件だった。
ジーコを語る時の鈴木さんは少年のような顔になる。「インテリかつ紳士、クリーンで情熱家」。引退後は本国でスポーツ担当大臣まで務めた。しかし、そんな栄光の頂点にまで登りつめたジーコが、大臣の職を辞してまで、なぜサッカー後進国日本の、しかも2部のチーム(住友金属工業蹴球団=現鹿島アントラーズ)への入団を決めたのか。
ーー今回のイラク(代表監督=現在は辞任)もそうなんですけど、どうしてわざわざそういう“不毛の地”を選ぶのかという疑問をぶつけたことがあるんです。でも、長い間ジーコから明確な答えはなかったんですよ。ところが、この前20年の付き合いの中で初めて答えてくれたんですよ。「それが自分の役目なんだ」と。
自国のサッカーに夢を抱く国民が少しでもいるならば、その夢を叶えるために、ゼロからのスタートであっても努力を惜しまない。それがジーコの哲学なのだという。実際、日本でジーコが蒔いた種はどんどん生長し、大輪の花を咲かせようとしている。ジーコを悪く言う人は、代表監督としての結果しか見ていないのではないか。住金時代からの彼の苦悩と自己犠牲の日々を鈴木さんはずっと近くで見続けてきた。
ーーでも、結局長続きしたのは日本だけなんです。どんなに高い理想を持っていても、ジーコというビッグネームが動く度にビッグマネーが生まれるのも事実。そんな金目当ての人たちが絡むと、いつの間にか本人の意志とは関係ないところで新たな契約が生まれていくのが現実なんです。
日本代表監督を退任した後、ジーコはトルコのプロサッカーリーグ・シュペルリガの名門チームに監督として就任、チームを優勝に導く。ジーコとの15年間を本にまとめるために、イスタンブールまで取材に来ていた鈴木さんは、スケジュール調整が難航したため、2日間ホテルで待つことになった。
ーーホテルでボーっとしていたら突然、亡くなった祖父が出てきたんです。それも真っ昼間に。『もう、サッカーはいいだろう? 役目を果たせ』って。その時は自分自身がおかしくなったのかとも思いました。そんな経験は生まれて初めてでしたから。
鈴木さんの祖父は、本業の傍ら日蓮宗の僧という顔を持っていた。近所の人に頼まれて祈祷をすることもあったという。帰国した鈴木さんは頭の整理がつかないまま祖父の菩提寺を訪ねた。すると住職いわく「それはお導きです」。鈴木さんが僧侶になるための修行を始めたのは、それから間もなくのことだった。
ーー女房に相談もしないでね。それまで水に当たるのさえ嫌いだったのに、100日間水垢離(みずごり)も続けました。不思議なもので、修行に入るまではうるさい程かかってきていたサッカー関係の電話が、修行に入った途端ぷっつりとなくなって、100日間を終えた途端に、またかかってきたんです。関係者には知らせていなかったのに。
それからは不思議なことばかりが続いた。祈祷の経験などなかったのに、必要に迫られて題目を唱え始めると、自分ではない何かが、自分を動かしていくのを感じたという。サッカーの“神様”の意志を伝えて来た男が、本当に“神仏”の意志を伝える役目を担うことになった。自然と言えば自然なことなのかもしれないが、今までとは180度違う世界なだけに、世間の偏見が多いのも事実。
ーー「どうせインチキ坊主だろ」とか「とうとう食うに困ってオカルトの世界に入った」とか、いろんな事を言う人もいますよ。仕方ないですよね、自分でも信じられないくらいですから。実際、この5年間暗中模索の毎日ですよ。妻子もいますからね。責任もあるし、収入が減っても食べていかなくちゃなりませんから。
それまでのキャリアが豊富であればあるほど、それを捨て去るには勇気が要る。鈴木さんも高額な年収が保証されたサッカー界に、相当な未練があったはずだ。
ーーサッカーから完全に離れたわけではないんです。以前のようなオファーはなくなりましたけど、小さなファンの集まりには顔を出して、ジーコが本当にやりたかったことや、自分自身の経験を話すことはあります。でもね、誰にも信じてもらえないかもしれないけど、仏門に入った理由はジーコと同じで、自分の意志には違いないけど、何よりもまず天から与えられた「役目」なんだと思うんです。その証拠に、まだ修行の身でも誰かを救うことができたときに、これまで味わったことのなかったような「充実感」がある。そういう意味では、敢えて困難な道を選んできたジーコの気持ちが今になって少しわかったような気がするんです。(おわり)