このコーナーのタイトルは最近流行の「ロハス」ではない。「ロハす」である。つまり、ロハのもの、無料のものを大いに活用しようという節約大好きなシニアのためのコーナーである。第1回目のテーマはYou Tube。まさしく世界中の映像見放題、貴重映像、稀少映像の雨あられである。著作権の問題はさておき、映画好き、音楽好きにとってはいい時代になったものだ。しかも、今回取り上げる映像はすでにDVDが廃盤となり、中古市場で高値で取引されているお宝映像。今年のクリスマスには1時間12分のフルバージョンをロハでたっぷり楽しんでいただきたい。



クリスマスには“キング”を

 「生まれ変わったら何になりたいか?」との質問に、奇しくも2人のビッグ・ネームが同じ答えを出した。ひとりはジョン・レノン。もうひとりは三島由紀夫。そして、その答えが「エルヴィス・プレスリー」である。

 エルヴィスという存在は、例えて言えば“象と盲人の話”に似ている。先日知人女性が語っていたエルヴィスは、おじさん達が歌う『ラブ・ミー・テンダー』や『好きにならずにいられない』の「甘ったるいバラード歌手」であり、かつての私の上司にとっては『ハウンド・ドッグ』を歌っていた「意味不明の英語をがなり立てるロカビリー・シンガー」であり、一部の音楽ファンにとっては「ドーナツを食べ過ぎて死んだ大物スター」でもある。

 どの捉え方もある意味間違ってはいないが、どれもエルヴィスの一部分に過ぎない。これは、ビートルズやボブ・ディランについても同じ。偉大なアーチストは常に変化し続けるから、ファンは置き去りにされるか、その変化に必死についていくしかないのである。

 エルヴィスのアーチスト人生を大きく分けると、サン・レコードでの歴史的セッションから兵役に就くまでの「ロックンロールの創始者」時代、兵役から復帰後の洗練された「ポピュラー歌手」時代、そしてハリウッドでたくさんの青春映画を粗製濫造させられた「歌う映画スター」時代、そして、この1968年のテレビショーをターニングポイントに、その後のラスベガス等を中心としたライブでの「エンターテイナー」時代に分けられる。

 このショーには知っておくべき背景がある。悪名高きマネージャー、トム・パーカー大佐が映画会社と交わした長期契約よって、エルヴィスは1960年の兵役除隊以降、ステージでのパフォーマンスができなくなっていた。大佐の「最もカネになる契約がいい契約」という哲学は、マネージャーとしては優秀だったのかもしれないが、アーティストとしてのエルヴィスを“飼い殺し”にしただけだった。この頃のエルヴィスはいつも同じような役、同じような台本に辟易し、観客の前で歌うことだけを望んでいた。

 1968年、そんな中で舞い込んだテレビショーの企画に、大佐はあまりいい顔をしなかった。「ただで見せるテレビに出演して何のメリットがあるのか」。大佐の考えていたショーの内容は、映画の宣伝であり、カメラの前で口パクで演技するというお手軽なものだった。しかしエルヴィスは秘かにテレビプロデューサーと話し合い、パーカー大佐の目を盗むような形でスタジオに観客を入れ、数回のライブパフォーマンスを行うという企画を進めていた。しかも、サンレコード時代のセッションを再現したり、皮ジャンでヒットメドレーまでやるという熱の入れよう。

 ショーのアウトテイクには、久々の観客の前で上がってしまって何度か失敗する“キング”の貴重なNG場面を見ることが出来る。この時33歳。歌手としてのエルヴィスが最も輝いた瞬間である。こうして出来上がったNBCのクリスマスショーは、長い間のフラストレーションをため込んだエルヴィスが、その秘めたるポテンシャルを爆発させた一世一代のパフォーマンスとなった。ラストでは、1968年という時代を反映し、キング牧師の「I have a dream」のアンサーソングとも取れる「If I can dream」を絶唱。その結果、この番組は、全米で42%という驚異的な視聴率を叩き出し、それまでビートルズ等のイギリス勢に奪われていたロックの王座を「たった一晩で奪い返し」、60年代後半から70年代にかけて世界中で空前のエルヴィス・ブームを巻き起こすのである。

 個人的な話で恐縮だが、私とこのショーの最初の出会いは、中学1年生のクリスマス。親に好きなレコードを買ってやると言われ、悩みに悩んだ末に手に取ったのが、この「'68カムバック・スペシャル」のサウンドトラック盤だった。なぜこのレコードを選んだのか、今では良く覚えていない。当時「オン・ステージ」や「オン・ツアー」といった映画が公開され、ハワイ公演がテレビで中継されるなど、空前のエルヴィスブームであったことは確かだが、それまで歌謡曲とクラシックしか知らなかった、東北の片田舎に住む中学生にとっては、エルヴィスは、あまりに遠い存在だったはずだ。

 たぶん、初めて洋楽のアルバムを聴いてみようと思ったのだろうが、名前といえばビートルズとエルヴィスぐらいしか知らなかったのだろう。しかも、どちらにも全く知識がなかったから、長髪にヒゲを伸ばしたビートルズや、モミアゲにジャンプスーツ姿のエルヴィスのアルバムを一通り眺めたあと、唯一お行儀の良さそうな純白のスーツを着て、いかにもスター然としたエルヴィスのジャケットに、少し安心感を覚えたのかもしれない。

 家に帰ってアルバムを開け、まずがっかりした記憶がある。まずテレビの録音ということで、モノラルだったこと。そして、当時唯一知っていた彼のヒット曲『この胸のときめきを』が入っていなかったこと。そんな理由からあまり期待せずにターンテーブルに乗せた直後、私はそれまで体験したことのなかった、凄まじい衝撃を受けた。それは心臓をわしずかみにされるような魂の蠕動(ぜんどう)であり、生まれて初めて聞いた美しき野獣の咆哮(ほうこう)であり、私の人生を音楽という名の底なし沼に引きずり込んだ、強烈な一撃であった。

 ロックというものがひとつの商品カテゴリーになり、かつてのロック少年達が老人になってしまった現在、ロックとはいったい何であったのか、どこから生まれて、どこへ向かったのか、今だからこそ、むしろ同時代を生きた人たちに、エルヴィスの本質を知っていただきたいと願う。「エルヴィスを知るのに、これ以上は要らない」と断言していいほど、エルヴィスのすべてが、この映像に封印されている。あとは、あなたが自身その封印を解くだけだ。やがてパンドラの箱のように、「何か」があなたのエルヴィス観、ひいては音楽観を変えることになるだろう。