このコーナーのタイトルは最近流行の「ロハス」ではない。「ロハす」である。つまり、ロハのもの、無料のものを大いに活用しようという節約大好きなシニアのためのコーナーである。第2回目のテーマはNHK-BSで1月8日(PM1:00~2:30)に放送される東映時代劇『忍者狩り』。受信料払ってるんだから厳密にはロハではないという声も出てきそうだが、そういう細かい事はさておいて、純粋に映画を楽しもうではないか。



ハードボイルド時代劇の傑作

 アラカン世代にとっての近衛十四郎のイメージは、ほとんどが大ヒットした『月影兵庫』『花山大吉』というテレビ時代劇の素浪人であろう。品川隆二扮する「焼津の半次」とのユーモラスな掛け合いから、晩年の近衛は“陽気な剣豪スター”としてお茶の間に愛されたのだが、近衛が映画界で創造したキャラクターの多くは、それとは真逆の、柳生十兵衛に代表される非情でシリアスな“剣の鬼”だった。

 “真逆”と言えば品川隆二も映画での線の細い二枚目から、「焼津の半次」で三枚目に転身して大成功したのだから、当時のテレビの影響力がいかに強かったかがわかる。尤も、どんなに大ヒットしても、近衛も品川も、この番組でのキャラがあまり好きではなかったようだが。

 近衛が『月影兵庫』としてお茶の間に登場するのは、この『忍者狩り』が公開された翌年(1965年)である。近衛は『忍者狩り』と同年の『十兵衛暗殺剣』を最後に、映画での主役を降りることになるのだが、『忍者狩り』のロケ地であった彦根城(冒頭の石垣のシーンは安土城)で、見物人が『白馬童子』で大人気だった山城新伍に大騒ぎするのに対し、近衛に対して「あの人誰?」という声を聞いて、テレビの影響力を思い知らされたという。

 思えば不運なスターであった。戦前から剣戟スターとして将来を嘱望されていたにも関わらず、戦争で映画会社は統合され、自身も徴兵されてシベリアに3年抑留された。復員後は進駐軍の方針から剣戟映画は禁止され、一座を率いて全国を公演、やっと53年に新東宝で映画界に復帰し、松竹を経て60年に東映に入るが、この時すでに46歳。

 東映にはすでに市川右太衛門、片岡千恵蔵の両巨頭を始めとして、大友柳太朗、東千代之介、若手の中村錦之助、大川橋蔵といった時代劇のスターが揃っており、ブランクが長かった近衛の入りこむ余地はなかった。それでも、当代随一と言われた近衛の殺陣を活かそうと、小品ながらも第二東映の併映作として徐々に主演作が作られるようになった。生涯の当たり役となった柳生十兵衛は、そんな中から生まれてきたキャラクターだった。

 近衛の主演作にカラー作品が一本もないという事実が、東映での不当な扱われ方を象徴しているのだが、低予算だからこそ若手のスタッフによる実験的な試みが可能でもあった。東映の時代劇と言えば、白塗りの二枚目による華麗な立ち回りが定番だったが、東宝の黒澤明が『用心棒』(1961年)で提示した殺陣のリアリズムに観客は熱狂し、東映の歌舞伎然とした殺陣は古臭いものとして飽きられようとしていた。

 そんな中で、ドサ回りの実演剣戟で鍛えた近衛の殺陣が活かされようとしていた。一般の刀身より15センチほど長い竹光を驚異的なスピードで正確無比に動かす。そして、共演した息子の松方弘樹が「殺されるかと思った」という圧倒的な気迫とリアリティ。当時の一般的な東映の殺陣と比べると、その迫力はライト級とヘビー級ぐらいの差があった。

 東宝に時代劇のお株を奪われた東映は起死回生の一策として、当時の安保闘争をヒントに、“集団抗争時代劇”というジャンルを模索し始める。口火を切ったのが近衛が仇役となった63年の『十七人の忍者』と近衛主演の『柳生武芸帳 片目の忍者』で、同年の『十三人の刺客』によって完成を見る。監督は長谷川安人、工藤栄一といった中堅、若手が担当し、古色蒼然たる東映時代劇に新風を吹き込んだ。そしてここに活路を見いだしたのが、他ならぬ近衛であった。

 余談だが、『十三人の刺客』で仇役を演じた内田良平は、この役が一世一代の名演だったとは思うが、本来ならば年齢的に見ても近衛の役ではなかったかと思う。それが実現しなかったのは、千恵蔵などの重鎮が“食われる”のを恐れていたからかもしれない。これも余談だが『十三人の刺客』では、アラカン(嵐勘寿郎)が若手とは一線を画す、素晴らしい殺陣を見せているのだが、リメイク版でその役を松方弘樹が演じ、やはり父親譲りの見事な殺陣を見せている(『忍者狩り』も松方弘樹主演、山内監督のメガホンでテレビでリメイクされている)。近衛が殺陣の旨さを尊敬していたというアラカンとの対決が『十三人の刺客』で実現しなかったのは、実に惜しまれる。

 その代わり、やはり殺陣の迫力で定評のあった大友柳太朗との鬼気迫る対決が『十兵衛暗殺剣』で実現、チャンバラシーンの白眉となった。また、殺陣師無し、打ち合わせ無しという常識外れの殺陣を勝新太郎と長廻しで演じて見せた『座頭市血煙り街道』は、希代の剣戟スター近衛の“最後の花”だったかもしれない。

 『忍者狩り』は一昨年逝去した山内鉄也監督のデビュー作でもある。この人も映画衰退期にあって、満足に仕事ができなかった不運の人であった。その代わり、テレビで『水戸黄門』や『仮面の忍者赤影』など沢山の作品を残したのだが、『忍者狩り』を観れば、そのテイストの違いに驚くことだろう。また、この作品の仇役に天津敏が抜擢されているのだが、『赤影』での仇役をご存知ならば、山内監督と天津との、その後のつながりを感じるかも知れない。

 前置きはこれくらいにして、未見の方は時代劇ファンならずとも是非録画してでも観て欲しい。近衛が試写を観た後「生涯の最高傑作」と言った意味がわかると思う。