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各地に残る昭和の香りが残る街並みや飲食店を紹介し、無形・有形遺産、国宝級、重文級といったテキトーな評価で「昭和遺産」として認定するこの企画。とはいえ、すべてこちらで勝手に決めつけているので、いつ何時クレームがつくかわからない。しかしそこはそれ、懐かしい時代への郷愁と愛情という風にご理解いただいて、関係者の皆様、穏便にひとつ、お願いいたしマス。<(_ _)>
タイトルは「千代田稲荷参道付近」としてあるが、わかりやすく言えば百軒店である。敢えて参道付近としたのは、地理的に見れば、かつてこの道が参道の一部であったことは間違いないからだ。千代田稲荷を基点に道は二方に伸びており、どちらも参道として作られた道だと思うのだが、かなり前から、そんな風に呼ぶことが憚られるような状況になっている。
敢えて言うなら“惨道”か。ラブホテル、怪しげな風俗店、ストリップ劇場が神社包囲網を形成している。まぁ、ストリップだけなら「天の岩戸」の神話もあるから許すとして、ラブホテルがやたらと多いのはいかがなものか。そういえば、大阪のお初天神とか、京都の安井金比羅宮のような有名どころにも、すぐ隣にラブホテルがある。一説によると、男女の縁にご利益がある神社ほど、近くにラブホテル街ができるのだとか。では、千代田稲荷はどうかと言えば、太田道灌由来の江戸城の守護神であって、男女の仲とは全く関係がない。
それはそうと、ここに来たら忘れてはいけないのがカレーの老舗『ムルギー』である。忘れてはいけないというより、忘れられないというべきだろう。今でこそカレー屋さんというとヨーロッパ風、インドカリー、スープカレー等々選択肢もいろいろあるが、70年代にカレーといえば食堂のおばちゃんが作るカレーか、蕎麦屋のとろみのついたカレーぐらいしかなかった。
そのせいか、初めてここのカレーを食べた時は衝撃的だった。香辛料の複雑な配合による香りと辛さ、そしてチャツネの程よい甘さ…。それまで味わったことのない独特の味覚だったのである。聞くところによれば、創業者が太平洋戦争でビルマ(現ミャンマー)に渡った際に、現地人から教えてもらったのだとか。私が学生の頃は、その創業者と妻、つまりおじいちゃんとおばあちゃんが健在であった。
しかし、独特なのは味だけではなかった。まず店の内装だ。薄暗い店の奥には使った形跡のない暖炉があり、その上に鹿の首(剥製)が飾られていた。他にも不可解な外国土産風置物があったように思うが、もっと不可解なのはオーダーの取り方だった。以下はかれこれ30年以上も前の私の実体験である。
席に座ると一応メニューがあって、おじいちゃんが持って来てくれるのだが、メニューを開くか開かないかというタイミングで「玉子カレーがおいしいですよ〜」と、老人特有のハイキー&ハスキーな声で話し、こちらが返事をする間もなく「玉子カレーですね」と言って、去ってしまうのだ。これが一度だけだったら何かの間違いかと思うのだろうが、二度目に行った時も同じだったので、そういうものなのだと納得する以外なかった。
続いて、おばあちゃんが物凄くゆっくりとした動きで水とスプーンを持って来てくれる。それはいいのだが、コップを乗せたお盆がガタガタと小刻みに揺れており、お盆の上はマグニチュード7〜8ぐらいの状態だ。テーブルに置かれる頃には2、3割水が減っているのだが、おばちゃんは気に留める様子もなく、いきなり私の前に座った。
その時は夏真っ盛りで、年代物のエアコンがブンブン音を立てていたのだが、おばあちゃんは私の向かいで腕をさすりながら「ねぇ、お兄ちゃんはさー、エアコンって平気?」「?」質問の意味が良くわからなかった私がキョトンとしていると「あたしはさー、苦手なのよー」
「ああ、それならエアコン切っていただいて構わないですよ」店の中には私一人。おばあちゃんは嬉しそうな顔をして、スローモーションでエアコンのスイッチを切った。そうこうしているうちに玉子カレーが到着。ん〜ウマイ。カレーの辛さをゆで玉子の輪切りがマイルドにしてくれる。ああ、しまった、ご飯大盛りにすれば良かった…。でも、普通盛りでも鳥のトサカみたいに立っているご飯が大盛りになったらどんな風になるのだろう。
そんなくだらない事を考えていたら、4人組の客が入ってきた。口々に暑い、暑いといってハンカチで汗を拭いている。おばあちゃんは仕方なさそうに、またコマ送りのようなスピードでエアコンのスイッチを入れに行った…。
さて、そのムルギーは現在どうなっているのか。久々の再訪である。おじいちゃん、おばあちゃんがご存命であればとうに100歳は超えているから、さすがにそれは期待できないが…。恐る恐るドアを開ける。雰囲気は昔と大きくは変わらないが、“さびれた山小屋風”だったあの頃と比べると、だいぶ垢抜けた感じ。午後1時を過ぎていたが、結構お客さんも入っている。例の暖炉の上には鹿の首ではなくてCDプレーヤーが乗っているし、各テーブルにパーテーションが立てられていてプライバシーも考慮されている。
オーダーを取りに来たのは女性。キッチンにも女性2人の姿が。30数年前とは違って、ちゃんとオーダーを聞いてくれた。当たり前ではあるが…。迷わず玉子カレー、ではなくて正式名称・玉子入りムルギーの大盛りを注文。昔果たせなかった夢を“大人食い”で果たす。普通盛りが1,050円、大盛りは1,400円。意外と高い。
一口頬張ると、う〜ん、やっぱりウマイ。昔感動したそのままの味だ。それにしても大盛りはさすがに迫力がある。マッターホルンの如き白い米の山肌に、カレーの湖が広がる。さきほどの女性を呼び止めておじいちゃん夫妻の消息を聞くと、やはりだいぶ前に他界されたとのこと。現在はその娘さん姉妹が経営しているようだ。親子代々受け継がれた味。何だか妙に嬉しくなる。
お腹がいっぱいになったので、今度は珈琲でも飲もうと、ムルギーから徒歩1分の『名曲喫茶ライオン』に行くことにした。ムルギーが昭和26年創業ならライオンは大正15年・昭和元年の創業。この店は仲間と「ちょっとお茶でも」という店ではない。この店に行く目的はあくまでレコードを聴くためであって、珈琲は入場料代わりなのである。紙芝居屋さんの水飴みたいなものか。
建物は戦災で一度焼け、昭和25年に再建されたのだが、創建時のまま再現したとのことで、この一角だけ時間が止まっている。この店に入るのも30数年ぶりだったが、驚いたことに何も変わっていない。巨大なスピーカー、劇場を模した店内には、スピーカー(舞台)向きに配された赤い椅子(客席)。椅子は古い映画館にあったような、座ると急にクッションが沈むタイプで、これも昔のままだ。
残念ながらここは撮影禁止なので、店内の様子はうまく伝えられないが写真を掲載したサイトもあるので、そちらで確認していただきたい。意外だったのは、学生風の若い客が多いこと。それぞれ文庫本を読んだり、何かを書いたりして思い思いに過ごしている。この風景も昔と同じだ。さて肝心の音響だが、スピーカーはヴィンテージもので、それはそれで素晴らしいのだが、肝心のレコードが古すぎて、あまりにもノイズが多すぎる。一度水洗いして、さらにナンダカンダと、思わずオーディオマニアのウンチクを言いたくなってきたので、5曲聞き終わった段階で店を出た。アナログにこだわるのも良いが、ソースが悪いと設備を生かし切れない。ちなみにオーダーしたのはミルク・コーヒーで、これは可も不可もなし。
それでもクラシックを5曲も聴いたのだから、やはり心地良かったのだろう。たぶん今でも、一人で時間を潰すには最高の空間だ。気分の醒めないうちに、隣の『B.Y.G』に行こうと思ったのだが、さすがにまだ日が高い。話題の「ヒカリエ」見物をしたあと、また戻ってくることにした。
『B.Y.G』とはBeautiful Young Generationの略なんだそうだ。こちらの創業は昭和44年。元々は地下がライブハウスで、1Fから3Fをロック喫茶・バーとして営業していた。もっとも、私が学生時代に通った頃はすでにライブは行われておらず、主にニール・ヤングやザ・バンドといった通好みのロックを流す飲み屋さんというイメージだった。
この店に入るのも30数年ぶり。ところが、ドアを開けてちょっと拍子抜けした。入り口にドカンと置かれ、店のシンボルだった白いウッドベースが無いのだ。店のレイアウトも、壁一面に書かれたミュージシャンのサインも、ダイアトーンのスピーカーも昔と同じなのだが、昔よりどこか小ざっぱりした雰囲気。店のお兄さんの許可を得て2階も見せてもらったのだが、小上がり風のカーペット席などは昔のままでも、改装したのか、結構綺麗になっている。
当時からいろいろなポスターが貼られていて、雑然とした雰囲気だったのだが、今は“昔風”にうまくまとめられている感じがする。これも時代の流れか。かつては、いかにも咥え煙草が似合いそうなダルい感じのお姉さんがやる気なさそうに水や氷を持ってきて、それはそれで“味”だったのだが、今は感じのいいお兄さんがハイネケンを運んでくれる。
お兄さんを相手にしばらく昔話。そんな中で「ここって、昔ライブハウスだったらしいよね」と言ったら「あ、今またやってますよ」「え? どんな人が出てるの?」「今度、鈴木茂さん、小坂忠さん、中野督夫さんの『完熟バンド』が出ます。まだ予約できますよ」「ホントかよ! 買う、買う、すぐ買う」
そんなわけで、思わずライブの予約をしてしまった私。今度渋谷に来るときはB.Y.Gでライブ見物だ。その時にはやっぱりムルギーのカレーを食べ、ライオンの珈琲を飲むだろうか。たぶん私はそうするだろう。何しろ、学生時代から今日まで、この界隈では他の店を知らないのだから…。