史上最高の?いじめられ女優

 かつて一世を風靡しながら、突然の引退や死亡によって消えてしまったスター達を取り上げてダラダラと思い出を語るこのコーナー。3回目は元・娘婿の大沢樹生による実子騒動がワイドショーを賑わせ、親としてさぞ胸を痛めているであろう元祖・アイドルスター内藤洋子。


 今や学校や職場での“いじめ”は深刻な社会問題となり「いじめ防止対策推進法」なる法律まで施行されたわけだが、テレビドラマにおける“いじめ”(この場合は“いびり”と言うべきか)描写は、視聴率確保のための古典的な手法として確立されており、現NHK朝ドラ『ごちそうさん』も例に違わず、舞台出身の実力派・キムラ緑子が久々の本格イビリ役として全国区の人気を集めている。イビリ役というのは裏を返せば最高の“もうけ役”であり、今後キムラへのオファー急増は必至、ギャラアップも約束されたようなものなのである。

 さて、テレビドラマにおける壮絶な“いじめ”描写のルーツは、今回取り上げる内藤洋子主演の『氷点』(1966年)ではないだろうか。最終回の視聴率42.7%というこのドラマの成功によって、当時まだ16歳だった内藤は少女スターとして不動の地位を確立する。

 この作品での陰の主役、つまりイビリ役だが、女優として最も脂の乗っていた時期の新珠三千代。宝塚出身の優等生的美人女優が、この憎まれ役を徹底的に演じ切るということは当時としては大きなチャレンジだったに違いないのだが、その賭けは見事に当たった。それから4年後の『細うで繁盛記』では、一転して“いびられ役”(“イビリ役”は冨士眞奈美)となり、3シリーズ続く大ヒット作となる。

 『細うで繁盛記』の原作者・花登筺はこの“いびり”“いびられ”パターンを男性ドラマにも発展させ、『どてらい男』、『あかんたれ』といった傑作を生んでいくのだが、実はこのパターンは主人公に限界まで我慢させることで視聴者の共感を極限まで増幅させ、最期の爆発的な逆襲によって一挙にカタルシスを得るという、忠臣蔵や任侠映画、力道山のプロレスなどに見られる、大衆芸能における日本の伝統的パターンといっていいだろう。

 しかし“いじめ”の元祖『氷点』は、そういった“なんだかんだいっても最後は主人公が勝つ”的なドラマではない。ドロドロの愛憎関係が徐々に暴露されていき、一気に登場人物全員の不幸へと雪崩れ込んでいく、あまりにも救いのないストーリーである。原作者三浦綾子はクリスチャンであり、作品の底流には「原罪」と「贖罪」という宗教的テーマが色濃く流れている。そのせいか、旧約聖書をモチーフにしたスタインベックの『エデンの東』(カインとアベル)を想起させるような部分もある。

 ゴチャゴチャと長くなったが、結局何を言いたいのかといえば、『氷点』の主人公・辻口陽子役というのが、新人女優が演じるには非常にヴィヴィッドで難しい役柄だということだ。結果的に内藤はこの難役を見事に演じて見せるのだが、雑誌『りぼん』のモデル出身というこの素人同然の女子高生が主役に抜擢された背景には、“イビリ役”新珠の強力なプッシュがあったというのだから驚く。

 新珠は黒澤明監督の『赤ひげ』で映画初出演の内藤を見てピンときたらしい。あの名作が内藤のデビュー作というのも超ラッキーな話ではあるのだが、そのきっかけが、黒澤監督の長女・和子(現衣装デザイナー)が『りぼん』読者だったために、表紙の写真が監督の目に止まったこと、そして内藤と酒井和歌子の2人に絞られた最終選考が、長男・久雄(黒パン)の意見に委ねられて決まったというのだから、内藤洋子は図らずも黒澤家によってスターへの階段を用意されたと言っても過言ではないのである。

 『赤ひげ』での内藤の役は加山雄三演じる保本登の許嫁の妹役。紆余曲折を経て2人は結ばれるのだが、身持ちの悪い姉に対して、内藤の演じた妹は優しく芯のある無垢な女性。あまり女性を生々しく描かない黒澤作品にあって、鎌倉の開業医の娘だった内藤の清純なお嬢様イメージがそのまま生かされたと言っていいだろう。

 続く岡本喜八監督の『大菩薩峠』では、仲代達矢演じる机竜之介に冒頭のシーンで祖父を惨殺される娘の役で印象を残し、さらに恩地日出夫監督の純愛モノ『あこがれ』で、今度は一転して優しい先生役の新珠三千代と映画での共演を果たす。ちなみにこの作品の元ネタはテレビドラマの木下恵介アワー『記念樹』である。小坂一也が歌う「桜の苗が大きく育つ頃♪ ぼくらはみんな大人になるんだ♪」という主題歌をご記憶の方も多いだろう。脚本は若き日の山田太一。

 『氷点』で勢いがついた内藤人気は、同年の若大将もの『お嫁においで』で加山雄三の妹役、吉永小百合、山口百恵など歴代青春スターの登竜門とも言える翌67年の『伊豆の踊子』(相手役は黒沢年男)で遂に主役を得、デビュー3年で東宝の青春スターとしての地位を確立する。続く舟木一夫の青春歌謡映画『その人は昔』ではお世辞にも上手いとは言えない『白馬のルンナ』を挿入歌として歌い、これが50万枚の大ヒット。今思えば、デビューした65年から67年ぐらいまでが、何を演じてもウケた絶頂期ではなかっただろうか。その後は平凡な青春モノが続いて新鮮味が薄れ、演じる役もだんだんとマンネリ化、68年以降はライバル・酒井和歌子に徐々に人気を奪われていく。

 そんな状況を理解していたのかどうかはわからないが、70年にはヒット曲『真冬の帰り道』や加山雄三のバックバンドとして有名だった第2期(初代メンバーはウルトラマンのイデ隊員こと二瓶正也など東宝の若手俳優で結成)ザ・ランチャーズのギター・喜多嶋修と電撃結婚して芸能界からきっぱり身を引き、74年にカリフォルニアに移住、長女の女優・喜多嶋舞を筆頭に一男二女にも恵まれた。

 一般人となった喜多嶋洋子さんの現在の肩書は“絵本作家”。近年“あの人は今”的な番組等でたまにテレビ出演もしており、いまだに衰えぬ美貌を拝見する機会も多かったのだが、悠々自適という雰囲気で本当に幸せそうだった。それが、突然ここにきて久々にマスメディアに登場したのが、孫の実子騒動に関するコメントだというのだから人生、本当に何があるかわからないものである。

 思えば女優・内藤洋子として最後の“華”を見せた映画が芥川龍之介原作の『地獄変』(1969年)だった。絵師の父親と権力者の間で翻弄され、最期は絵のモデルとして焼き殺されるという非業の娘役。仲代達矢、中村(萬屋)錦之助という2大名優のケレン味たっぷりな大芝居に挟まれながら、良くも悪くも「地のままのお嬢様」を演じきった内藤は、その素直過ぎる佇まいゆえに、被虐の役どころが最高に似合っていたのであった。

 そういう意味で言うと、内藤洋子は日本映画史上最強クラスの「いじめられ女優」ではなかったかと思う。いじめがエスカレートすればするほど、薄汚れた俗世に咲いた、一輪の可憐な花として輝きを増し、観客の庇護意識に火を付ける。そんな、戦前のリリアン・ギッシュのような特殊な存在感に、東宝の重役たちは気が付かなかったのではないか。そこが惜しまれる。むしろ、その点を当初から見抜き、いじめ役の自分をさらに輝かせるに違いないと判断したであろう新珠三千代の方が、一枚も二枚も上だったような気がするのだ。