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かつて一世を風靡しながら、突然の引退や死亡によって消えてしまったスター達を取り上げてダラダラと思い出を語るこのコーナー。1回目は人気絶頂のまま芸能界を離れ、専業主婦になった西田佐知子。
↑昭和44年(1969)のNHK紅白歌合戦から
その時好きだった曲が人生の“サウンドトラック”になるというが、テレビの回顧番組などで60年安保が取り上げられると、その映像に必ずといっていいほど挿入されるのが西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』
60年当時、東大生でデモに参加していた樺美智子さんの死と、安保条約を阻止できなかった学生達の虚無感がこの曲のイメージとぴったり重なったということらしいが、もちろん、双方には何の因果関係もない。
そもそも不思議な曲ではある。詩を書いた水木かおるは芹沢光治良が1943年に発表した小説『巴里に死す』をモチーフにしたということだが、当時ノーベル文学賞の候補にもなったこの作品のテーマは、死を前にした人間の魂の浄化であり、『アカシア』に見られるようなステバチな“死への憧れ”ではない。
水木・藤原(秀行=作曲)・西田トリオのもうひとつの代表作である『東京ブルース』には「泣いた女が バカなのか だました男が 悪いのか」「どうせ私をだますなら 死ぬまでだまして欲しかった」という実に単刀直入な男女間の怨念が見られるのだが、『アカシア』の場合は、そういった演歌独特の“恨み節”が希薄だ。
つまり、実体は旧態然とした演歌なのだが、アカシアの雨、真珠、鳩といったフレーズが、一見無国籍でファンタジックなムードを醸しだし、恨み辛みといった生臭いリアリティを抑えているのだ。この手法は、その後なかにし礼が得意とした“シャンソン風歌謡(注)”の先駆けではないかと思う。恨み事を色々並べても、最後には「セラヴィ(それが人生)」と言って流してしまうような感覚である。
こういった曲は、強烈な個性やテクニック、アクの強い歌い方をする歌手には向かない。むしろ少しアンニュイな鼻声と、無表情、こぶしやビブラートを強調しすぎない西田佐知子の歌い方にピッタリはまったのではないか。
ちなみに、この曲に出てくる「アカシア」とは街路樹によく見られる「ハリエンジュ(ニセアカシア)」のことで、写真上のような白い花が咲く。本来のアカシアは黄色い花である。下の写真は西田佐知子のもうひとつの代名詞であるエリカの花。水木かおる作品では他に「くちなしの花」という名曲もあり、“花の詩人”としても知られている。名前から女性と勘違いする人も多いのだが、男性である(故人)。
今やすっかり司会が本業になってしまったが、当時は大スターの息子というだけで、中途半端な二枚目のイメージだった関口宏と、歌手として脂の乗りきっていた西田佐知子が「ラブラブショー」で知り合って、そのまま結婚してしまったのが71年。就職してサラリーマンになった安保世代がそのニュースを聞き、酒場で悲嘆に暮れていた。それから33年、息子の知宏が旅番組に登場し、人気が全国区になった04年には、あの時代を知る誰もが隔世の感を強くしたであろう。
西田本人は『アカシア』を辛気くさい歌だと言っていたらしいが、そういった思い入れの無さやアッケラカンとした感覚が、むしろリスナーの過剰な思い入れを生んでしまったようにも思える。そしてその不思議な現象は、藤圭子や山口百恵といった“無表情派”に受け継がれ、さらに過剰な伝説を生んでいくのであった。