薄幸なイメージそのままに…

 かつて一世を風靡しながら、突然の引退や死亡によって消えてしまったスター達を取り上げてダラダラと思い出を語るこのコーナー。2回目は再婚後、芸能界から完全に消えたかと思ったら98年に娘の宇多田ヒカルが大ブレイク、かと思ったら2006年に4900万円もの現金没収騒動で母娘共々何かと話題の絶えない藤圭子。


 前回取り上げた西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』が60年安保なら、藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』は70年安保映像のサウンドトラックのひとつになるだろう。この時代背景については四畳半で何が悪い!で詳しく述べるとして、西田佐知子のように、結婚してそのまま完全引退してしまえば、間違いなく日本歌謡界の伝説になったであろう存在だ。それを惜しいと言うべきか、本人の勝手だろと言うべきか…。

 1969年9月に『新宿の女』でデビュー。51年7月生まれだから吹き込んだのは17歳か18歳ということになる。恐ろしいほどの早熟。しかし、娘のヒカルは15歳でデビュー、しかも作詞作曲まで自前だから、母を超えた早熟ぶりと言うべきか。

 ただ、宇多田ヒカルの場合、純粋にNYという環境で自然に育った音楽的才能が時代感覚とマッチしたという、一般的なアーティストとしてのブレイクだったのに対し、母の圭子の方は、最初から演出されたキャラクターとして登場し、1970年という時代そのものを舞台に、不幸な少女歌手という“神話”を演じていた。そういう点ではいかにも「昭和」のスターだったと言える。

 藤圭子誕生のいきさつは、生みの親である石坂まさを氏の著書「きづな」に詳しい。68年に石坂は「肩まで垂らした長い髪と、日本人形のような丸くて色白の顔に黒くて太い眉が印象的」な17歳の少女を紹介される。試しに歌わせてみると、ルックスとは正反対の太くてドスのきいた声。

 その時圭子がギター片手に歌ったのが『星の流れに』と『カスバの女』。68年といえば、ガールズポップ全盛の時代。17歳の少女が歌う歌ではない。この時すでに藤圭子の特殊性は際だっていたのである。

 本名・阿部純子。父は浪曲師で、母親は盲目の三味線弾き。岩手県一関市生まれで北海道旭川市育ち、子供の頃から両親と共に ドサ廻りの「流し」で生計を立てる、いわゆる“門付(かどづけ)芸人”の娘だった。絵に描いたような苦労人一家。石坂はその後純子の両親に会い、娘を預かることを決める。

 「演歌の星を背負った宿命の少女」。石坂は作詞家・プロデューサーとして、純子の生い立ちをそのままセールス材料として使うことにした。不幸を売り物にしようというのだから、これはかなり勇気のいる決断だったと思う。そしてシングル盤のジャケットには、圭子のイメージを決定づけた黒いベルベットのスーツに、白いギター。流しの少女から生まれ変わった、歌手・藤圭子の誕生である。

 高度成長の陰で、ネオン街にひっそり咲いた徒花。これが“昭和元禄”の華やかさに乗り切れなかった大衆の心を掴む。『新宿の女』が売れ出したのは70年。次の『女のブルース』がオリコン初登場1位となり、3枚目の『圭子の夢は夜ひらく』で圭子の人気は頂点に達する。10週連続1位、77万枚売上げる大ヒットで、第12回日本レコード大賞大衆賞も受賞した。

 ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、セカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位と、まさに社会現象。テレビにも毎日のように出演したが、この頃は人前で笑うことを秘かに禁じられていたという。石坂やレコード会社の徹底したイメージ戦略がファンの幻想を増幅させた。

 五木寛之が毎日新聞のコラムで「ここにあるのは“演歌”でも“援歌”でもない。これは正真正銘の“怨歌”である。」と論評。逆境を乗り越えてスターになった“怨歌歌手”藤圭子のサクセスストーリーは形を変え『さすらいの太陽』というテレビアニメにもなった。

 しかし、4枚目の『命預けます』以降、人気は徐々に下降していく。翌71年には前川清と電撃結婚(翌年離婚)。その後はテレビでの笑顔も“解禁”され、本来の明るい性格を前面に出すようになるのだが、当時そんな彼女の変化を見ていた私は、ある種の「戸惑い」と「痛々しさ」を感じていた記憶がある。

 その後の人生はご存知の通り。79年に引退宣言したが81年には藤圭似子の名で再デビュー。翌年宇多田照實氏と再婚し、娘(ヒカル)を出産した。その後宇多田氏と離婚、復縁を繰り返し、金銭トラブルから母親とも絶縁、ギャンブル好きが高じてニューヨークで大金を押収されたりと、メディアに登場する彼女には、トラブルがつきまとう。

 そういえば娘のヒカルが19歳で結婚、5年後に離婚した時に私は銀座のバーで友人にこう話していた。「何だかんだ言っても藤圭子の娘だからなぁ…」

 もしかしたら、いまだに私達は彼女に「不幸」なイメージを持ち続けて欲しいのかもしれない。薄幸な少女が人気絶頂になり、数々の栄冠や結婚という幸福を手に入れた翌年から、突然大衆にそっぽを向かれてしまったあの頃のように。本人にとっては迷惑な話だろうが。(この記事は2013年1月に書かれたものです)

追記:2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で倒れている藤圭子さんが発見され、搬送先の病院で死亡が確認されました。謹んでご冥福をお祈りします。