フォークとは無縁のフォーク歌手

 今や「Jポップ」という言葉も聞かなくなり、「ニュー・ミュージック」さえ死語になって久しい昨今、かつて隆盛を極めた「フォーク・ソング」の復権が叫ばれている(ごく一部ではあるが)。60年代、エレキを持っていればロック、アコースティック・ギターを持っていればフォークという単純明快な色分けもあったのだが、70年代後半には「四畳半フォーク」などという侮蔑的な言葉で表現されるほどネクラの代表に凋落してしまった。しかし敢えて言いたい。「四畳半で何が悪い!」私達は皆、フォークを聴き、ギターをかき鳴らしながら大人の階段を登ってきたのだ…。とまぁ、お題目はそのへんにして、今回は前回のオフコース同様「フォーク出身」にして「ニュー・ミュージック」のリーダー的存在、井上陽水を取り上げる。ちなみに本名は揚水(あきみ)です。

前編〜元祖「四畳半」?

 70年安保の“敗北”から「あさま山荘事件」を経て、学生運動が急速に下火になったのが1972年。翌73年の「第一次オイルショック」は、日本の高度成長神話を過去の幻想に変えた。この頃「シラケ」という言葉が流行し始め、「無気力・無関心・無責任」の三無主義が時代の形容詞として使われるようになった。当時の若者の間にニヒリズムや個人主義が蔓延していく過程には、そんな時代背景があったのである。


 家業である歯科医をめざしていた井上揚水が、3度目の受験に失敗したのが1969年。もう後がない状況で「音楽でひとやま当てたい」と、ラジオ番組で人気が出た自作曲の『カンドレ・マンドレ』をひっさげてホリプロと契約。アンドレ・カンドレという芸名でCBSソニーからデビューしたが全く売れず、シングル3枚であっという間にフェードアウト。

 当時は猫も杓子もフォーク・ブームで、ギターを持って歌うだけでにわかフォーク・シンガーになれたのだが、むしろ揚水はそれを嫌っていたように思える。何よりも彼のアイドルはビートルズであり、PPMでもジョーン・バエズでもなかった。ところが、小室等から勧められたボブ・ディランを聴いて、詩の書き方に衝撃を受ける。そうか、こんなに自由でもいいのか…。これで一挙に表現の幅が広がった。

社会問題より個人の事情

 71年にその才能を見抜いたポリドールのディレクター多賀英典が揚水をCBSソニーから移籍させ、アルバム『断絶』の制作が始まる。芸名を井上陽水と改め、シングル『人生が二度あれば』で再デビューしたのが72年。まさに「シラケ世代」誕生の年だった。そしてアルバム『断絶』に収められていたのがこの曲だった。

 『傘がない』

 都会では 自殺する
 若者が増えている
 今朝来た 新聞の
 片隅に書いていた
 だけども 問題は今日の雨
 傘がない
 行かなくちゃ 君に逢いに
 行かなくちゃ
 君の町へ行かなくちゃ 雨にぬれ

 この『傘がない』は“四畳半フォーク”を象徴する曲と言われる。フォークソングというのは本来社会批判、体制批判の思想が根底にあるもので、この曲であれば「若者の自殺」というテーマを掘り下げていくべきなのに、ここでの結論はそれよりも個人的事情の方が大切だと、アッケラカンと言ってのける。

 この、一種の“掟破り”が衝撃を与えた。社会問題と、それに無関心な個人という鮮やかな対比が当時の若者の心情を代弁。陽水は新しいフォークの旗手として、同世代の心を掴んでいく。ところが、この曲には元ネタがあった。しかもそれはフォークではなく、陽水が高校時代から熱狂していたビートルズの名曲だった。

 『ア・デイ・イン・ザ・ライフ(人生の一日)』

 今日、新聞で読んだよOH BOY
 うまく成功した
 運のいい男についての記事だった
 どちらかといえば悲しい
 ニュースだったけれど
 ぼくはやはり笑わずには
 いられなかった
 その男は車のなかで
 気が変になてしまい
 信号が変わったことに
 気がつかなかった
 (中略)
 ぼくはあなたを目覚めさせたい

 目をさまし、ベッドから
 転がり落ちるようにして起き
 櫛をひきずるみたいに髪をなおし
 なんとか階下へ降りて
 とにかくコーヒーを一杯、飲んだ
         (片岡義男・訳)

 歴史的名盤『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のラストを飾るこの名曲は、ジョンとポールがそれぞれ作りかけの曲を合体させたことで生まれた、いわば偶然の産物だった。『傘がない』同様、新聞をキーワードとしたジョン作の社会問題を感じさせる部分(本人は夢で見た光景だと語っていたが)と、ポール作のドタバタした朝のスケッチ、つまり個人的生活の部分が曲の転調と共に対比されることで「世の中で何が起ころうと、相変わらず遅刻スレスレで出かける自分」という、人生の本質、つまり退屈極まりない日常を鮮やかに切り取っているのだ。

 かつて陽水は「『みんなが好きなことをやりなさい』これがビートルズから私へのプレゼントだった」と語っている。ビートルズ、特に全世界の若者に影響を与えたジョンの詩の本質は、情けないほど直線的でシンプルな愛の歌である。

 キミの愛が欲しい、キミの手を握りたい、ボクを裏切らないで、ボクを悲しませないで、ただ電話をくれさえすれば…。そこには政治も経済も倫理観もない。ビートルズが世界の若者にとって革命的だったのは「人はすべて社会的存在であれ」という呪縛から、個人を解放したことではないだろうか。


 続く73年、シングル『夢の中へ』がスマッシュヒット。陽水は人気歌手の仲間入りをする。この曲でも陽水は、かつてのアングラ・フォークの深刻さをあざ笑うかのように「みんなが好きなことをやる自由」を高らかに宣言して見せたのである。<次回に続く>