後編〜解散、そして再び

ヤスへ 小田より

 その後オフコースは2年間の休養を経て4人で再スタート、アルバムやツアーを重ねて日本を代表するアーティストになった。脱退した鈴木氏はCMなどの楽曲提供で活躍。1983年に郷ひろみに提供した『素敵にシンデレラ・コンプレックス』がトヨタ・カローラのCM採用されてメガヒット。鈴木氏は「この曲こそ、僕が作った曲では最大のヒット曲。オフコースの曲ではないんです」と自身のコンサートではMCの(自虐的な?)ネタにしている。


 絶頂期にあったにも関わらず、オフコースは1989年の東京ドーム公演で解散している。本当だったら解散は小田氏の故郷でもある横浜スタジアム公演を予定していたのだが、これも鈴木氏の脱退で立ち消えになった。

 オフコースはBOOWY、キャロルと並んで再結成がありえないバントと言われてきた。しかし、ここ数年風向きが変わってきている。小田氏は41歳の時にフジテレビの月9ドラマ『東京ラブストーリー』のテーマソング『ラブストーリーは突然に』がメガヒット。「ソロになってから、これからは今までやってこなかった他人とのまじわりを考えたい」と積極的に他のアーティストとのコラボレーションを始めた。50歳になったことを機に「これからは思い出や友だちと生きていく」とも宣言している。

 一昨年にある出来事があった。NHK名古屋の番組に生出演した鈴木氏に小田氏からナマ手紙が送られて、一気に離れていた2人の距離が縮まったのだ。

『ヤスへ』
久しぶりです。
そうですか、もう40年になるんですね。
音楽を始めた頃、30歳を越えて歌をうたっているというイメージすら持てなかった。
きちんと学業を修めた者が、いい歳をして歌なんて、そんな時代。
アーティストという言葉もありませんでした。
予想はしていましたが、それよりずっとはやく時は往きました。
でもそのあっという間にいろんなことがありましたね。
高3の聖光祭で初めてステージに立ったあの時。
ただ洋楽をコピーして歌っていればそれだけで楽しかったあの頃。
そして自分たちで歌を作り初め、いつか多くの人たちが僕等の音楽を受け入れてくれていったあの頃。
思いはどんな場所にもすぐに帰れます。
そんな数えきれないキラキラした思い出を共有してくれている人がいるということを心から嬉しく思います。
いつかそんなことを語り合うような時が来るのでしょうか。
身体に気をつけて。楽しく歌い続けていかれるよう心から祈ってます。
2101年10月 小田より

 高校の親友同士がプロの音楽家になり、血気盛んな30代に決別。そして時は過ぎ、今や四捨五入すれは70歳になる2人だ。鈴木氏が昨年アルフィーの坂崎幸之助氏のラジオ番組に出演した時のこと。

 「僕も小田さんにオフコースの再結成はないのですか? と言ったことあるんですけど『いやあ、そうねえ。やると言っても、ヤスと2人で新しいものを何を作ってけばいいのかな』ってそんなふうにおっしゃってましたけど」という坂崎氏のツッコミに鈴木氏は満面の笑み。

集まり始めたピース

 「まあ、僕は死ぬまでの最後の仕事と思ってますんで。オフコース再結成が。なんでお前の仕事なんだって言われるかもしれませんが、“再結成男”としましてはですね…」と続ける坂崎氏に鈴木氏は「2人で新しいものを作るのは意味があると思う」と答えた。

 小田氏もオフコース解散後の1990年から、吉田拓郎のアルバム制作およびコンサート・ツアーに清水仁氏と参加。また、拓郎ツアーには1992年まで、レコーディングには1996年まで、それぞれ参加していた松尾一彦氏が2010年に代表曲『せつなくて』をセルフカバー。この曲も30年ぶりの録音ということで小田氏は松尾氏の依頼を快諾し、ピアノを弾いている。

 小田氏にとって元メンバーとのコラボレーションは解散後初。これに続くように昨年1月、松尾氏は鈴木氏のラジオ番組『メインストリートをつっ走れ!』にゲスト出演。欠けていたピースが徐々に集まり始めている。


 毎年の年の瀬、今年も小田氏の『クリスマスの約束』がオンエアされた。「TBSにだまされて1回の約束が12回目になってしまいました」という小田氏。ここ最近は“ネタ切れ?”の感もあり、ファンの間では“最後のクリスマスの約束”はオフコースの再結成しかないという声も聞こえ始めている。それが『たしかなこと』になるかどうか。その答えは5人それぞれの胸の中にある。<次回に続く><前回に戻る>