溢れる叙情に数滴のスパイス

 子供の頃読んだ本を憶えているだろうか。かつて胸躍らせ、眠れなくなるほど興奮したり、人生の意味を少し知って、大人の世界に思いを馳せた経験は誰にでもあるはずだ。そこで“アラカン”では、児童向けの文学を読み直し、子供の頃とは違う視点でその深遠な世界を探ってみようと思い立った。そこにあるのは新たな発見か、それとも大いなる落胆か…。なにはともあれ、まずはページを開いてみよう。

 第2回は新美南吉の『手袋を買いに』。新美南吉は『ごん狐』『おぢいさんのランプ』など珠玉の作品を残し、結核のため29歳で世を去った夭折の童話作家である。『手袋を買いに』は彼の死後発表された童話集「牛をつないだ椿の木」に収録されたもの。

 『手袋を買いに』は「日々是ロハす」でも紹介している青空文庫で読むことができる。数分で読み終わるので、まずは読んでいただければと思う。

 新美南吉の作品で最も有名なのは『ごん狐』であろう。『ごん狐』が、鈴木三重吉の『赤い鳥』に掲載されたのは南吉が19歳の時で、作品は17歳の時に書かれたものだという。ただ、南吉の書いた『権狐』(原題)は子供の頃に聞いた猟師の口伝をもとにしており、その草稿に三重吉が手を加え、童話として完成させたのが一般に知られる 『ごん狐』 である。

 『手袋を買いに』も狐が主人公なのだが、こちらは南吉の完全なオリジナルで、作風も若干異なっている。『ごん狐』がストーリー性やテーマ性を重視した結果、情景や心理描写などの文学性が薄れてなってしまったのに対して、『手袋を買いに』はテーマ性には乏しいが、その分、溢れんばかりの叙情性に富んでいる。

 特に素晴らしいのは冒頭部分、朝の雪景色である。

 子供の狐は遊びに行きました。真綿のように柔かい雪の上を駈け廻ると、雪の粉が、しぶきのように飛び散って小さい虹がすっと映るのでした。
 すると突然、うしろで、「どたどた、ざーっ」と物凄い音がして、パン粉のような粉雪が、ふわーっと子狐におっかぶさって来ました。子狐はびっくりして、雪の中にころがるようにして十米も向こうへ逃げました。何だろうと思ってふり返って見ましたが何もいませんでした。それは樅の枝から雪がなだれ落ちたのでした。まだ枝と枝の間から白い絹糸のように雪がこぼれていました。

 子供にとっての雪。初めて一面の雪を見た子狐が、あまりのまぶしさに「目に何か刺さった」と勘違いしたり「お手手がチンチンする」と感じるのは、北国生まれの筆者には幼年期の実体験そのものだ。子供に“共感させる”言葉で描くというのは簡単そうに見えて実際は難しい。わかっているつもりでも、ついつい大人の視点で“説明”してしまうからだ。

 物語は印象的な朝の風景から一転して、夜に変わる。この描写もまた見事である。

 暗い暗い夜が風呂敷のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、包んでも包んでも白く浮びあがっていました。

 南吉は愛知の知多半島出身で、その短い人生の殆どを故郷で過ごしているから、こうした雪国の風景に日常的に接していたとは思えない。しかし、他の作品を比べてみると、南吉は読者を一瞬にしてその世界観に引き込む、ビジュアル表現に卓越していたことがわかる。

 代表作のひとつ 『おぢいさんのランプ』 ではこんな情景を描いている。

 巳之助はランプに火をともした。一つともしては、それを池のふちの木の枝に吊した。小さいのも大きいのも、とりまぜて、木にいっぱい吊した。一本の木で吊しきれないと、そのとなりの木に吊した。こうしてとうとうみんなのランプを三本の木に吊した。
 風のない夜で、ランプは一つ一つがしずかにまじろがず、燃え、あたりは昼のように明かるくなった。あかりをしたって寄って来た魚が、水の中にきらりきらりとナイフのように光った。

 童話というのは、その大半を子供の想像力や感受性に委託する文学である。従って、情景描写が特に重要なのだ。子供にもわかりやすく、語りすぎず、しかも独特な世界観でなければならない。その世界観に共感させられるかどうかで、作品への興味や関心の度合いが決まってしまうからだ。そういう意味では、実は童話の書き方というのはハードボイルド文学の手法に近いのである。

 『おぢいさんのランプ』は時代の流れに逆らえず、自分の人生にひとつのケリをつける物語である。そのやりきれなさを南吉は“夜の水面に映る光”というセンチメンタルな情景で描き、『うた時計』 では、生きることの“厳しさ”“難しさ”を懐中時計の音にシンクロさせる。これらの作品は人生の“ほろ苦さ”が児童文学のテーマとして成立した、希有な例でもある。

 『デンデンムシノカナシミ』 でデンデンムシに生きることは“悲しみ”の肯定であると語らせた南吉だが、『手袋を買いに』では、人間の性善説、性悪説というテーマを匂わせながら、最終的に結論は出さず、「ほんとうに人間はいいものかしら」という母狐のつぶやきで終わらせている。溢れる叙情性の中に、ほんの数滴垂らされた辛さ。この心憎い終わらせ方が、児童文学家としての南吉の大きな成長ではなかったかと思うと、早すぎた死が惜しまれてならない。

 今回ご紹介した青空文庫で、殆ど全ての新美作品が読める。この機会にもう一度読み返して、子供の頃学校で書かされた「読書感想文」を、アラカンになった今、もう一度心の中で書いてみてはいかがだろうか。